[未校訂]十一月廿一日 江戸の邸館を発して、日暮る程に、戸塚
の駅にやとりとりぬ。亭主を十右衛門といふ。丑半剋はかり、大地震、
戸障子、小壁へた〳〵と崩れかゝる。各起あかるにかなわ
す、座敷を這もこよふ。たま〳〵立あからんとすれは、足
をもためす、横に倒る。光行、祐之、頽かゝりたる戸障子
を踏やふりて、庭え飛くたる。庭の間、弐間四方の所に、
築山あり。後は山也。山のうちに、小塀を構へたり。退へ
き道もなし。山も崩れ落て、危く見えたり。光行庭をはし
りまはりて、南の方の塀の穴戸より、隣家の裏へにけ退き
たれは、はや其隣の家も顚倒せり。裏に小屋あり。是も倒
れたり。其家と、小屋との間、弐間計の空地有。此所にう
つくまり居る。此間に、伊賀守、荷物をそこ〳〵と沙汰し
て、庭へはこひ出させたり。油火も悉ゆりこほして、闇の
中に荷物を、そこよこゝよとさくりあるき、さはきあへる
躰、たとへていはんかたなし。
やう〳〵と火を燧出し、硫黄をもてともして後、いさゝ
か人心もつきぬと思ひたれば、駅の南方に、火事出来るを
見つけて、出火近辺のよし、声を揚しかは、おの〳〵荷物
を大事として、又騒きあへり。光行、祐之、此所より奔出
むとしたりけれと、人家たふれて、通路かなひかたけれ
ば、もとの穴戸より家へ帰りて、海道へかけ出る。
此時、猶地震やまず、時に駕輿の者二人来る。壱人を案
内者として、海道の北方へ走出んとしたりければ、はや左
右の家顚倒して、道を塞く。その崩れたる家の屋ねの上
を、素足にてあゆむ。大地も裂破れて、溝洫のことく泥水
涌出る。
やう〳〵と、吉田橋といふ所の、鎌倉道の辺に、光行、
祐之やすらふ。此所に寺あり、妙性寺と云。見るかうちに、此寺顚倒して、住持の坊主、圧て死す。後に此寺のうしろの畠
に居たる時、苦痛の声たえかたく聞ゆ。辰の剋に及ひて、苦楚の声聞えす。されとも人の来りてたすけいたはる躰も見えす。あはれはかなき事也。
此間地震須叟もやまず。始大地震の時より東の方の空に電
光あり、夜明まてその光やむことなし。かゝる程に、荷物
共に手に〳〵持はこひ来れり。伊賀守も、一個背負て来れ
り。これみな海道ふさきたる屋根の上を、荷物もちて通ひ来れる也。上下拾五人の者共、壱人も
小疵も被すして遁れ出たる事、各悦ひあへり。
是より、鎌倉道を東の方へ行むと出たるに、此道に土橋
あり。橋も崩れ落て、通路かなひかたし。とやせんかくや
といふに、爰にひろき麦畠のありけるへ、各おり居て息を
つき、荷物をつみ置り。此間地震猶やまず。され共人の倒れまろふ程はなか
りき。
土堤の諸木震動して、倒れむ事も危しとて、また畠の真
中へ荷物を移し運ひ、光行、祐之は、駕輿に入て居る。伊
賀守なとは、荷物の際にうつくまり居る。時に暁の霜は雪
のことく置けり。されとも、寒洌の気、肌に徹れるをおほ
へたる者はなかりき。さて此所より見めくらせは、山をへ
たてゝ、西の方、北の方、南の方、三方に火事の烟おひた
ゝしくみゆ。此間夜いまた明す。地震もやます。夜明かた
に、戸塚の火事も消滅す。曙にしたかひて、三方の烟の色
もうすらきぬ。
廿三日 夜やう〳〵明はなれて、使を亭主十右衛門かも
とへ遺す。宿中の火事静りぬれは、地震顚倒せさる家あら
は用意すへし、その家へ立越へきよし申やりぬ。また問屋
かもとへも、道中筋の障なく、往来の者もあらは、早速告
知すへし、しはらく此駅に滞留すへきよし申やりぬ。使か
へりて云。亭主もいつちやら逃散て相逢す、問屋は家つふ
れて死たるよし、そのあたりの者いひたりとて、むなしく
帰ぬ。宿中の人家悉顚倒して、死人もおほく有。其中に十
右衛門か家は、顚倒もせさるよしなり。さるゆへに、壱人
もあやまちなくまぬかれ出、荷物も紛失せさる事、人力の
及ふ所にあらすと、各悦ひあへり。
巳剋計に、十右衛門畠中へ来語云。十右衛門家のむかひ
側に、妹聟あり。家潰て、女房、娘、下部以上五人、おし
に打れて死たりとそ。問屋も家潰て、誰有てか宿中の者を
取沙汰する人もなきよし、申て帰りぬ。
人を駅家へ遣し、帰りて語けるは、町の山方の家にて、
哀いたはしき事を見たりし。家たふれて、鴨居にて首を押
へられたる者あり。苦しけなる息をつきて、顔をもたけ
〳〵したり。其あたりに助けんとする者もなかりしか、帰
るさに見たりけれは、もはや気を絶ぬとそ。其外、親子四
五人同し枕に圧て、命をうしなふものもあり。一人二人は
数もしらす。馬も四疋をうちひさかれて、海道の側に仆れ
たるも有。目もあてられぬ有様也。駅の西山の寺の前に
は、死人を斂て置きたる者、弐拾人計も有とかたりける。
巳半剋許に、上下の者一人町へ出て、黒米を少はかりも
らひて来る。是を各食て息をつけり。菓子なとを取出して
いさゝか飢をたすかりぬ。
人を戸塚の駅中へ出し置て、上方、江戸飛脚往来も有や
と尋しめしに、誰いふともなく、藤沢の方も、道〳〵の大
木顚倒して通路なし。川崎よりこなた、宿々は家一軒もな
く、通路は絶たりとそ。かゝる上は、幾日逗留すへきやう
もしらす。しはらくなり共身を隠し、荷物を入置へき家も
あらは借求めむとて、午剋許に、伊賀守は、下部を召れき
て、駅中にもしやは倒れぬ家もあらんとて、求め行し。町
より西の山上の寺へ到りて見けれは、六畳敷はかりの座敷
ある寺院あり。その住持に逢て、借度よし所望したりけれ
は、住持請合てあるなり、さりなから、只今戸塚の地震に
罹たる死骸五人、此座敷へいれて、葬礼をとりいとなむな
り。日暮時分には仕廻ん間、その時分来られて、一宿せら
るへしといへり。これ不浄の地なりとて、それより山の西
の在郷へ立越て宿をもとめしに、壱宇も傾損せぬ家はなか
りけり。せんかたなくて、未剋計に、伊賀守畠の中へ帰り
ぬ。
かくても、野外に一夜を明さむも、盗賊の愁なきにあら
す。いかにもして、小屋なりとも借求めむとて、また伊賀
守下部を召連て、東の山際の在郷へ到る。上蔵田村といふ
所にて、百姓十兵衛といふ者、家倒れすして有けり。それ
を所望したりければ、亭主請合ぬ。されと名主か同心せね
は叶かたきよしいひけり。名主は何所にあると尋しかは、
此所より山をめくりて、八丁はかりあなたの、遣か谷とい
ふ所に居けるよしいへり。伊賀守またこれよりかの遣か谷
へ尋行て、しか〳〵のよしいひけれは、子細なき由領掌せ
り。申半剋はかりに、伊賀守畠の中へ帰り来りて、宿を借
求めたるといひたりければ、各人心ちつきて、生きかへり
たるこゝちせり。
これより田の径をつたひて、十五六町行。その道筋大に
裂破れ、足を踏定す。光行、祐之徒跣して、駕輿には荷物
を入て、おの〳〵それ〳〵に財布なとをかつき持て、日暮
時分に、上蔵田村十兵衛といふものゝ宅に入ぬ。此宅八畳
敷の古家有り。次に八畳敷斗の所に囲炉あり。戸障子も破
てなし。さなから在郷の有様、見くるしき躰なれ共、宮殿
楼閣よりもたうとく覚て、各悦あへり。此間に地震も時々
あれとも、今朝のことくにもあらす。され共、地はゆふ
〳〵とゆるきて、やゝもすれは、驚く程の地震もあり。戌
剋許に及ひて、夕飯を喫す。前夜戸塚にて夕喰の凌とり、
人々食を求す。爰おゐて、各気力つきて、珍羞よりも猶賞
するに堪たり。
此所の百姓来語けるは、今日申の剋許に、長崎番衆石尾
阿波守、早駕輿に乗て江戸へ帰らる。下部壱人も相随すと
そ。戸塚前夜の火事は、家崩倒るゝと火出ぬ。其家に母親
我子を抱て寝なから焼死ぬ。隣家類焼、焼死する者四五人
あり。馬も壱疋焼死たり。類火の家三宇以上四軒、小屋と
もに八九軒焼たりとそ。
夜に入て地震やむ事なし。前夜とおなしく、東の方の空
に電光あり。夜深くいなひかりしうすらきぬ。家中の灯火
は消して、荷物を入置。光行、祐之は、庭の間に駕輿を
置、その内に入て夜を明す。伊賀守、下々なとは、庭に荒
筵を敷て、その上に乗物のとゆ、かつはなとを引ひろけ
て、寝もやらすして夜を明し侍る。暁かたに及て、霜ふ
り、夜寒たえかたしとて、粥なとを調て、各寒気を凌く。
戸塚駅中は、動揺の声、火用心の触物さわかしく聞ゆ。夜
八つ時分程に、西山のあなたに火事の烟みゆ。竹の焼る音
おひたゝしく聞ゆ。夜明はなれて、烟気漸々薄く見ゆる。
いつれの所とはしらねと、いかさま広在郷ならんと覚えた
り。
夜中、戸塚の西山の上に、松明の影やますみゆ。村人に
尋しかは、あれは駅の死人を、山の上なる寺へ葬るとて、
もてはこふなり。家におしうたれて、命を失ふ者何人とも
いまたしれす。親は子を失ひ、子は親におくれ、兄弟主
従、いつれをいつれともわかすまよひさけひ、家の下に圧
れたる死骸は、掘出す事かなわすして、見つくるにしたか
ひて斂葬するとそ。或は疵傷れて、腰を打ぬき、手足を打
おり、面をやふりたるもの、幾人といふ数もしらす。とひ
とふらふ人もなく、看抱する人もなく、目もあてられぬ有
さまなり。夜中地震やまさる故に、死残りたる女わらんへ
は、畠の内へ出、山そはに仮屋を作て夜を明す。
廿四日 辰剋許、旅宿の前の海道を、飛脚一人通る。よ
ひまねきて、いつこよりいつかたへ行と問たりけれは、鎌
倉の法界寺より、江戸の植野へ、地震注進の飛脚也とい
ふ。さあらはとて、書状壱封をたのみて、江戸に送りぬ。
又、江戸の方より、上方へ飛脚の者通ると聞つけて、是も
ことつてゝ、書状を故国へ送れり。
江戸筋地震、おひたゝしく沙汰有たれと、実説知かたきゆ
へに、注し付す。小田原も大地震にて、宿中の家顚倒せ
り。その折ふし、城内より火出て、駅家焼亡のよし、口々
風聞有。大磯よりこなたの駅程も、悉顚倒して、旅宿かな
ひかたきよし、とり〳〵沙汰あり。
今日、戸塚にて長崎番衆の者の死骸をさかし出したる
に、拾五六人ありとそ。乗馬も二疋圧て死す。駅中死傷の
者百人余あり。その内に、往来の旅人も有とそ。申剋許
に、阿波守家来、江戸に帰るとそ。
蔵田村も、上中下の三村あり。家数六七十軒程あり。其
内に四拾軒余顚倒せり。死人は壱人もなきよし、村人語り
侍る。
今日、使を戸塚駅に差遣して、上方道中筋の事を尋問せ
しに、昨日三嶋より出たると云旅人に逢て尋けれは、三嶋
も地震したりつれ共、家の戸障子なと震倒したる計にて、
人家崩れたる所なし。箱根峠の駅は顚倒して、関所の近所
に残たる茶店二三宇有。関所は倒れす。畑村は人家たふれ
たり。坂の下方は、二子山の巌石崩れ落て、道を塞き、徒
行の者、岩のはさまを伝ひ通ふ。荷物は往来しかたし。馬
は思ひもよらす。小田原は駅中焼亡せり。それより大磯、
平塚、藤沢の駅も、人家頽れて、駅路の便なしとそ。今日
日の中、地震時々やます。申の下剋雨降、終夜小雨降。夜
中も地震時々やます。
是日伊賀守、鎌倉一見のために罷越て、申剋許に帰語
云。これより鎌倉まての在郷、悉家つふれて見ゆ。貝から
坂の大切通は、山崩て道塞る。木の根なとにとりつきて越
たり。鎌倉の在所も、人家悉顚倒せり。円覚寺の門前の在
家弐百宇はかりもあるとみえたり。悉たふれたり。谷々に
寺家数多有。山崩れて、通路絶たり。白黒の池の輪橋も、
崩損てかよひかたし。間道を経て、円覚寺に至る。本堂、
拝堂の石梵裂破れて、泥水涌出し、仏壇も頽れて、本尊堕
て泥にまふれてみゆ。その外、堂塔、方丈、寺家等、山崩
れかゝりて、その形勢たとへんかたなし。
建長寺の門の両傍の台塀、石垣悉くつれ、門は傾て残れ
り。門内に堂一宇あり。山頽れて埋みたり。拝堂は顚倒せ
ねとも、仏壇はくつれて、本尊は下へ落たり。方丈は傾損
したれとも、顚倒せす。門と石垣とは、悉崩れたり。方丈
の庭に仮屋を建て、幕をひき、坊主共集居れり。その外、
寺家二三宇も、崩れたる山に埋てみゆ。
鶴岡へまいる道に、小坂あり。左右共に崩れて、往来か
なひかたし。木根に取付て、かちのほる。此間に家有。八
幡北の入口の黒門顚倒せり。八幡宮の本社は、はめの板く
つろきてみゆ。さのみ傾損せす。神前の石の階石の玉垣
は、悉崩頽る。中門の前の石燈籠、鉄燈籠悉たふれたり。
その前の石壇、幅五間許に、長さ廿間程あり。算を乱した
ることくに崩れ損したり。その両腋に、拾間程にみゆる石
垣有。其形もなくつふれたり。其外舎屋破損、石の輪橋崩
て、通路絶たり。由井の浜に至るまてに、石の鳥居三基
有。弐基は崩れて、壱基は落かゝりてあり。雪下の町は、
少し頽たり。由井の浜の辺は、津浪うちよせて、通路かな
ひかたき由、村人語けるゆへに、行到らすとそ。
廿五日 夜いまた明やらぬ頃に、江戸より両使来臨、御
対面、其悦たとへん方なし。江戸表御別条なきよし、安堵
の思をなせり。午剋許に、使を藤沢の駅に差遣して、上方
より通路の事を尋聞しむるに、沼津より出たるといふ旅人
に逢て尋たりとて、沼津は地震きひしき様に覚えたれと
も、さのみ人家の顚倒する事なし。箱根峠は、駅中家な
し。関所は損せす。下り坂は、二子山崩れ落て、磐石道を
ふさく。此所は、馬、荷物なとは通わす。荷物は、人夫背
負て、山の崩れのそは道、岩のはさまをつたひて往来す
る。畑村は損して、湯本村は、さのみ損せす。是により
て、旅客湯本に泊るとそ。小田原は、駅家一宇もなし。大
磯は、駅家四五軒残れり。旅人こゝにやとりを取とそ。
今日日の中、地時々震ふ。夜中八九度震動せり。明日、
此地発駕すへしとて、旅粧それ〳〵ととりいとなむ。駅馬
は、戸塚より上蔵田村の馬を差先り。戌剋許に、村人来
会、只今江戸の方より、酔狂人のことくにして、刀を抜、
持物をむさほり取者有て、戸塚のあなた吉田と云村はつれ
迄来れるとて、駅中騒動せり。荷物等用心して、夜番を差
置へきかとて、鉄柱の鎖を持来て借たり。左様の強盗有へ
しとも思はね共、かゝる忩劇の折柄、殊に辺土に旅人有と
知らは、不意の事有へきも計かたしとて、夜番をすへて守
らしめたり。亭主は家の入口に、松の木をもて垣を結け
り。今夜、戸塚宿中夜番の声、終夜物さはかしく聞ゆ。
廿六日 夜明て上蔵田村を発す。駅を過行程に、海道の
両方の松、いくら共なく倒れり。一両日以前、村人伐開て
道を明たりと見えたり。其中に、一抱斗の松の木、西より
東へ倒れて、左右の土堤にもたれ懸れり。其下を、旅人腰
を折て来往す。駄荷は馬よりおろして、馬を畠中より通し
て、又駄荷をおふせたり。藤沢の駅に至る道々、原宿杯
(抔)も、家あまた倒れて見えたり。
藤沢の駅に、さのみ人家顚倒の躰もみへねとも、悉傾損
したり。下り方と、上り方との駅のはつれは、戸塚の人家
と等くみゆ。此駅にても、三拾人余圧れて死すとそ。此内に飛
脚の者壱人有りとそ。駅を出はなれて、四谷に行。此所も人家半は顚倒
せり。こわたと云所は、人家数百軒有、其内に八九軒たほ
れて、是より外は傾損せり。柱を地中へ掘込て建てたる家は、顚倒せすしてみえたり。
命を失ふ者四人有と、村人語侍る。こわたよりなんがう
へ至る。道砂地なり。その間の人家みな崩れ頽たり。なん
かうも、人家半過て倒れり。此所にて暫憩ひけるに、石尾
阿波守宿取の家来、廿一日江戸を発して、廿二日小田原に
泊り、家に圧打れたりとて、半生半死の躰に成て、竹輿に
たすけられて、江戸に帰りぬ。
馬入の渡船も、廿二日の夜潮満て、舟共沖へ浪にとられ
たりとて、廿三日の夕方は、舟一艘にて旅客を渡しけると
そ。今日は船三艘有て、旅人を渡す。潮盈たりとて、半里
計川上へまわりて舟に乗也。馬入の在所も、残りたるいゑ
もなく、みな頽れてみへ渡る。やわた町の松林は、木の倒
れたる躰もみえさりしか、町屋は馬入村とおなし。平塚駅
も残りたる人家なし。駅の人語けるは、此所に十四歳にな
る男子、家におされたるを、父母あはてまとひて、其子の
両の手を取て引出さんとしたりけれは、左右の腕を引抜た
り。父母の哀悼悲歎、たとへん方もなしとそ。聞にたに堪
かたき事也。此駅を出はなて、花水橋を渡。橋は傾損せ
す。橋つめの地形大に裂破て、溝洫のことし。凡海道の大
地裂破たる所に、悉泥水湧出せり。海道の右方の山々も、
崩れたる躰あまた所みえたり。木なとも多倒れたり。
申剋に、大磯の駅に泊る。此駅舎も過半顚倒傾損せり。
されと此家斗そ頽すして有けり。此駅に倒ぬ舎四五宇有とそ。亭主出て語
けるは、地震の後日、海の潮虚る事二丁余有。是により
て、津浪打よするとて、宿中騒驚して、男女共山に仮屋を
造りて遁れ出て日を過す。昨日の夕方、やう〳〵と家に帰
る者も有。されと女わらんへは、今朝まて山に居れり。今
日は海の面も風静に成て、人心もつきぬとそ。廿二日の夜
地震の時、高浪来て、沖の漁舟多破損したり。こゝに大磯
の浦に、五百石積の舟と、三百石つみの舟と、二艘かゝれ
り。高浪来りて、二艘の舟を引汐に沖中へ漂して、又打よ
する浪に、三百石つみの舟は、磯へ二丁斗打上たり。五百
石つみの舟は、磯際にて船人碇をおろして留たり。船も人
も、何の難なくまぬかれて、翌朝廿三日、二艘の船、伊豆
の嶋へ漕帰りぬとそ。
此駅にても、家に圧打れたる者、五十人余ある中にも、
哀なるは、此郵亭のむかひ側の家に、祖父孫を抱て寝なか
ら、同し枕にして死す。又親子三人共に死たり。哀はかな
き事共なり。申の剋より日暮まてに、地震事二度、夜に入
て地震時々有、戌剋斗に及て、地震よほとつよく聞えた
り。宿中大に騒動せり。旅亭の隣に、此所の代官何某居た
りけるか、財宝等を裏の畠へ移しはこひ、俄に仮屋を造
り、屛風を引まわし、其内へ入て、夜を明し侍る。亭主の
男女も、みな畠の中へ遁出し、亭中に人なし。駅中火用心
の触声、終夜たへす。かゝる時節は、盗賊もありとて、駅
中物忩、只今にも有やうにのゝめきあひて、さわきあへ
り。夜明る頃ほひに、駅中に物音も少静りぬ。戌剋より暁
方迄震ふ事七八度あり。
廿七日 夜あけて大磯を出、駅の南のはつれに、切通と
云所に、地蔵堂有。山崩て堂を埋たり。坊主二人埋れ、命
を失ふとそ。鐘も落て、大道の側に横れり。相模の国府の
人家は、顚倒せる家わつかにみゆ。梅沢と云所は、茶店さ
のみ傾損の躰もみえず、わつかに六七軒程つふれたり。梅
沢を過行程に、山崩て大木顚倒し、海道を塞く。村人是を
伐て、道を開たり。地の裂破たる所々は、松の枝を埋た
り。横切橋は、傾損せり。されと往来の旅人通り、馬は通
はす。村人あまた集りて、橋つめに馬道を作て、川の中を
馬を渡したり。
是より左の方の山崩たる所おほく、右の方も海道さけ落
て、谷へ頽たり。はね尾村と云所、人家悉倒、焼亡の跡一
軒有。国府津府中共いふなり。人家柱の立たる軒はみえす。死人も五
六十人斗有。未何人共不知由、村人かたり侍る。此海道より外の在郷
も、人家多顚倒して出火の所共有。其所の人は、多死たりと、村人語侍る。山王村といふ所は、山王の社
有。其社は顚倒せす。人家は悉倒て死地に就く者三十人許
有とそ。酒匂川の在所も、家の残りたる躰なし。人死する
者五六十人はかり有。馬も四拾疋計死たり。人馬共に何程
と云事、末たしかに不知とそ。川はたに、焼失の跡みえた
り。村人語けるは、家倒るといなや、火出ぬ。家人九人お
しに打れて、内にて助よと呼さけひけれとも、誰有て寄ち
かつく者もなし、九人の内二人は、火の中よりはひ出て命
をたすかり、七人はおしに打れなから焼死ぬ。類焼一宇有
とそ。
酒匂川の土橋崩落て、徒渉の人夫をやとひて、川を越た
り。是より小田原にさしかゝる。駅の入口の番所顚倒せ
り。城も焼亡、宿中類焼せる焼亡の跡、墓も残らすみゆ。
されと人馬の骸骨は、所々にみち〳〵てみゆ。目もあてら
れぬ有様也。臭気風にみちて、旅客鼻を擁して過ぬ。駅の
中程、せうけん明神の社有。社も顚倒せす。鳥居、朱の瑞
籬、類焼せすして残れり。駅家も地を払焼亡したりしに、
此社残御座事、神威のいちしるしき事、仰ても恐たふとむ
へし。また駅の上り方の山上に、天神の社有。これも傾損
せすしてみゆ。駅の南北の入口は類焼せされとも、一つと
して柱の立たる家はなし。
駅の人に尋ねたりしかは、宿中男女千六百人程命を失
ふ。往還の旅人は数もしらす。たま〳〵家を逃出たる者
は、海辺に逃迷ひて潮にとられたる、それらの人数いかほ
ど有ともしらす。家頽て籠の中の鳥のことく、出ん事もか
なはす、声を上て呼さけへとも、たすくる者もなく、其内
に火焰しきりに及ひて、焼死たり。駅馬も残らす斃れり。
その内に、廿二日の夜半時分程に三度、荷をおほせて行たる馬二疋、途中にて地震にあひたりしか、不思議に馬も人も命をまぬかれたりとそ。
其外商人の物、飛脚の輩、此宿に泊たる者、生残たる
は、十に一二なりとそ。駅中海道の中は水道也。其水道裂
破て、足を立るにさたかならす。焼亡の折節、水道の上
は、水路溢て、下は水不通、火を消滅するに、便を失へり
とそ。小田原大地震は、七十一年以前に有と古老語り侍
る。小田原合戦は、百弐拾年以前の正月十七日の事也。其
後築たる城也しか、此時焦土と成ぬ。浅ましき事也。駅の
人語侍る。
小田原を出はなれて、風祭と山崎と云所を経て、湯本村
に到れる道すから、山崩れて、大き成岩石海道の間に横
り、或は山の木倒れて、道を立塞く。道幅わつかに半間計
有難路を、人馬往来する所々有。路かわの石垣は、算を乱
したるかことし。足の立所さたかならす。申の剋斗に、湯
本村に着ぬ。此村は、人家倒て、わつかに見えたり。亭主
語けるは、前夜迄地震猶やます、風まつりより此村に至る
迄は、家中に人の夜寝る者なし。うしろの山に登りて夜を
明しけるとそ。今宵地震七八度。此村も、夜とも忩劇にし
て、いもねられす。
廿八日 夜明て湯本を七八丁斗にゆく。山崩て、巌石通
路を塞く。駕輿も越かたし。輿より降て徒跣す。葛葉木の
根に取つきてかひのほる。此所谷底へは一丁程にも見え
て、壁を築立たる様なり。輿は諸繩をはえて引挙る也。荷
物は背あふて、箱根の駅に到る。是より坂道にさしかゝ
る。二子山の磐石頽落て、道を塞く。此磐石五六百人斗し
ても引動しかたき程のも有り。或二三百人、或は五拾人、
六拾人斗のも有。其磐石いくらともなく道に立塞り、おゝ
ひ重、旅行の人、其はさまを徒行する。是皆二子の山の峯
より崩落たる物也。されと磐石の崩落たる跡、山にみえ
す。瓦礫の飛かことくして、高根より落たるとみえたり。
木口二(尺脱カ)斗の松の木の、地際より二尺斗上を、磐石落かゝり
て打折る。其木すゑは道に横れり。是峯より石の落たる勢
にてつき折たる物也。其麓を往還する旅人、肝魂を消すと
いふ事なし。
畑村は六七軒倒てみゆ。村人語けるは、死人四人有。其
内二人は往来の者也。地震の時家を遁出て、山より崩掛る
岩石にうたれて死たるとそ。箱根の関所は、傾損の躰な
し。関所の辺の家は、七八宇残たり。峠は宿悉顚倒した
り。此駅にても、死地に就く者三十人余有。馬も三拾疋計
斃たりとそ。峠より上り方の在郷は、家の頽れたる躰もな
く、山も崩す。
是より三嶋駅迄は、地震の跡聊みえす。三嶋の駅の人語
けるは、土肥、伊藤、うさみ、あたみは、廿二日の夜、津
浪にて人家多没したり。あたみと云所は、人家五百軒斗有
所也。わつかに拾軒斗残りたるとそ。あたみの名主何某、
下部と弐人、不思議に命を免たり。されと潮を呑て苦痛し
たりとそ。三嶋へ医師を呼むかへにおこせり。医師早船に
乗ていそきけるか、いまた行いたらぬ先に、彼名主死し
て、医はむなしく、昨夕三嶋に帰りぬとそ。
又沼津の駅人語けるは、うさみと云所へ、沼津の者弐人
行て、廿二日の夜津波に遭たり。津浪打よすると、此二人
の者、家の柱にいたきつきて居たりけるか、しはらく有
て、夢の覚たる心地して、目を開見たりけれは、うさみの
在郷と覚えたる所は、家一軒もなく、浪に取られたり。此
二人の者の居たる家は、始の家の跡よりも三丁程山の上に
有。是は始波の引さまに、家を沖へ引とりて、また波の打
よする時に、山の上迄打上たる物なり。此うさみの在所
も、山の上に建たる家三四間有。夫れは残りたりとそ。そ
の残たる家へたよりて、二人の者日数を過し、船を待え
て、二人なから、一昨日沼津に帰たり。されと一人は、潮
を多呑込て、昨夜死たりとそ。
申の半剋計に、沼津の駅にとまる。此所も地震したり
き。前夜も一度地震ふとそ。此日は大磯の潮虚て、津浪打
寄ると云て、駅の人みな家を出て、山方に仮屋を作り、財
宝を持はこひて、廿三日より昨日まて、さはきあひて、人
心もなく、物すこきよし、亭主物語したり。
廿九日夜をこめて沼津を出ぬ。申下剋、江尻の駅に泊
る。亥剋斗に及ひて大風吹、夜半過る頃、風すこし静ま
る。
十二月朔日 夜明やらぬに江尻を出。駅の人云けるは、
前夜江戸大火事とみえて、夜中火の気夥敷みえたりとそ。
夕かた大堰川を渡る。此時寒風はけしう吹。今夜は金谷の
駅に泊る。今日経過する駅路にして、前夜火事のさたとり
〳〵有き。実説さたかにしらす。
二日 浜松の駅に泊る。駅の人語けるは、此城主米穀を
積て、江戸へまはす舟十二艘、廿二日の夜、荒井の沖にて
破損したり。たま〳〵損せさる船二三艘有けれとも、潮に
ひたして、用にたちかたし。米一万石余程失墜したりと
そ。又荒井の沖に、江戸大まわしの舟廿四艘有。是も二艘
残て、其余は損したりとそ。
三日 夜いまた明やらぬに、浜松を出て、六ツ半時分、
荒井の舟に乗。船頭語けるは、廿九日の暮方より、江戸の
方に火事見ゆる。明る朔日の日の出迄火気みえしか、其後
は朝暉におされてみへす。昨夕江戸の飛脚通りつるか、大
火事の由語りけるとそ。日暮に赤坂の駅にとまる。
四日 赤坂を出て、藤川の駅に到る。江戸よりの飛脚の
語けるとて、大火事の沙汰有。廿九日の夕方より、明る朔
日の四ツ時分まて焼たり、その飛脚は、一日の四時分江戸
を発したるか、其時火未消滅せさりき。火は小石川より出
て、本庄へ焼ぬけたりとそ。日暮て宮の駅に着ぬ。
五日 夜をこめて宮の駅を発して、佐夜より船を買て、
午の半剋計に、桑名に着ぬ。
六日 坂の下の駅にとまる。今夜風はけしく吹。
七日 坂の下を出て、鈴鹿山をこゆる。夜ほの〳〵と明
ぬ。雪降。是より水口の駅にいたるまて、雪吹前路をうし
なふ。日暮て、草津に、駅にやとりぬ。
八日 夜ふかく草津をいてゝ、亭午、賀茂に帰着ぬ。