[未校訂] 元禄十六年(一七〇三)十一月二十二日夜九ツ時分(午
前〇時)大地震が起こり、つづいて大津浪となり、長生地
方も沿岸各村々は大災害をうけた。鷲ノ巣、鷲山寺門前の
供養碑には次のように刻まれている。
「元禄十六癸未歳十一月二十二日夜丑ノ刻(午前二時ご
ろ)大地震、東海激浪溺死者合二千百五拾四人」と刻んで
ある。この東海とは、同時ゆかりの九十九里沿海村々をさ
したものであろう。また、長谷村、宝永元年(一七〇四)
の年貢割付(加藤重忠家文書)には、下畑十四町八反歩余
のうち一反八畝十六歩は「去ル未ノ地震川欠ニ引ク」とあ
る。つまり、川ぞいの下畑で地震のため川の中へ崩れ込ん
でしまった部分が合計一反八畝十六歩あって、それは課税
の対象からはずされたことを示している。他の村々につい
てはとくに、耕地に関する異常は年貢に直接影響するゆ
え、多少の被害でも等閑視しなかった当時、割付、皆済
(完納領収証)などにも何ら記載されていないので、多少
の被害はあっても特筆するほどではなかったものと推定さ
れる。