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項目 内容
ID J0601426
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1666/02/01
和暦 寛文五年十二月二十七日
綱文 寛文五年十二月二十七日(一六六六・二・一)〔越後〕八王子⇨二十九日
書名 〔新井市史 上〕○新潟県
本文
[未校訂]寛文五年(一六六五)の地震について同誌(長沢郷土誌)は「寛文五年一
二月二六日高田付近大地震死者千余人」ありと記している
が、「高田市史」は、さらにその状況を次のように詳細に
述べている。
 寛文五年一二月廿六、廿七日大地震あり。本城の建物
残らず破損し、本丸の角楼二つ、同土居五十間程崩れ、
二の丸、城代屋敷、三の丸、蔀土居四十間程、大手一の
門崩壊、三の丸屋敷とも崩れ、其の他米廩石垣及び士分
の家七百余戸、町家社寺の破損(算カ)等なし、此の時積雪一丈
四尺余、暗中の震災に加ふるに火を失し、圧死又は焼死
するもの侍三十五人、其余の男女百二十人、町人の死傷
その数を知らず。小栗五郎左衛門・荻田隼人の両家老
は、此厄に遇うて非業の最後を遂げ、岡島壱岐・根津与
市・小栗十蔵等の重臣は重傷を負ふ。翌六年三月四日、
幕府岡野の局を遣はして慰問し、米三千俵を賜ふ。同十
三日五万両を幕府より借りて、封内罹災者を救恤す。
(「高田市史」大3・5・23)
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 318
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 新井【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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