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項目 内容
ID J0601421
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1666/02/01
和暦 寛文五年十二月二十七日
綱文 寛文五年十二月二十七日(一六六六・二・▼一)〔越後〕八王子⇨二十九日
書名 〔柿崎町史〕○中頸城郡
本文
[未校訂] 寛文五乙巳年(皇紀二三二五昭和十一年ヨリ二七一年前)十二月二十七日申の
刻(午後四時)過、大地震起る、高田城市は城郭、藩士邸、市街、
神社、仏閣に至るまで潰家、大破、圧死人夥しく、加ふる
に、時は現今の二月二日に当り深雪軒端を埋め進退自由な
らず難を外に避けんとして雪に圧れ、[雪氷|ツララ]に貫かれて死し
たるもの頗る多かったと言ふ、所謂「此下に高田在り」の
建札を建てゝ道標としたのは此時であること。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 316
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 柿崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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