Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0601229
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔山城・大和・河内・和泉・摂津・丹波・若狭・近江・美濃・伊賀〕駿河・三河・信濃・伊勢・武蔵→十二月まで余震
書名 〔鶴城譜略〕○佐土原
本文
[未校訂]此日(五月二日)京師地震して五条の橋を崩す
(落る)〔日向変動記事〕「日向郷土史料集 七」
第二十二 禁裏御普請の事附京都地震の事
 寛文二壬寅年禁裏御普請、地形より築地迄新造にて御
所、御殿数多造営。此時但①馬守久雄御普請御手伝。御請取
の御②殿立仕舞い、明る卯正月十二日外の御大名家へ渡る。
右御普請の中寅の五月朔日申の刻京都大地震。されども京
都町々、家々は無事なり。大仏辺に倒れたる家少々あり。附
り五条石橋の事、柱貫③、大引物④、橋板、欄干迄何れも石な
り。柱根河中には切石をしきならべ、何程の大水洗⑤いほが
させじがため、縦令何万年経る共朽ちせぬ事とこそ覚えけ
り。扨て万民、商人細き者は石橋の際に売見⑥せを構⑦い居に
けり。百千万劫⑧不易の橋とぞ悦びけり。又橋の下には乞食
共大勢取寄り、結構なる住居と悦び居にけり。然るに此節
の地震に一時にゆり崩され、細⑨物売杯は橋崩れて落ち、あ
りたけしまうたり。なれども怪我計り、死人はなし。乞食
には打殺されしもの多かりしとなん。
注①佐土原三代藩主
②普請手伝の責任を果すこと。
③柱の上部を横に貫いている材。
④大引とは家の床の下に横に亘す木。こゝでは橋板を
支える横木のこと。
⑤洗いほがさせまいとしての意。
⑥店。
⑦底本、手偏に書く。
⑧底本、却とあるは誤り。
⑨そうめんのこと。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 229
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮崎
市区町村 佐土原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒