[未校訂]此日(五月二日)京師地震して五条の橋を崩す
(落る)〔日向変動記事〕「日向郷土史料集 七」
第二十二 禁裏御普請の事附京都地震の事
寛文二壬寅年禁裏御普請、地形より築地迄新造にて御
所、御殿数多造営。此時但①馬守久雄御普請御手伝。御請取
の御②殿立仕舞い、明る卯正月十二日外の御大名家へ渡る。
右御普請の中寅の五月朔日申の刻京都大地震。されども京
都町々、家々は無事なり。大仏辺に倒れたる家少々あり。附
り五条石橋の事、柱貫③、大引物④、橋板、欄干迄何れも石な
り。柱根河中には切石をしきならべ、何程の大水洗⑤いほが
させじがため、縦令何万年経る共朽ちせぬ事とこそ覚えけ
り。扨て万民、商人細き者は石橋の際に売見⑥せを構⑦い居に
けり。百千万劫⑧不易の橋とぞ悦びけり。又橋の下には乞食
共大勢取寄り、結構なる住居と悦び居にけり。然るに此節
の地震に一時にゆり崩され、細⑨物売杯は橋崩れて落ち、あ
りたけしまうたり。なれども怪我計り、死人はなし。乞食
には打殺されしもの多かりしとなん。
注①佐土原三代藩主
②普請手伝の責任を果すこと。
③柱の上部を横に貫いている材。
④大引とは家の床の下に横に亘す木。こゝでは橋板を
支える横木のこと。
⑤洗いほがさせまいとしての意。
⑥店。
⑦底本、手偏に書く。
⑧底本、却とあるは誤り。
⑨そうめんのこと。