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項目 内容
ID J0600255
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1611/12/02
和暦 慶長十六年十月二十八日
綱文 慶長十六年十月二十八日(一六一一・一二・二)〔北海道南東岸・津軽・三陸〕→津浪あり
書名 〔唐桑町史〕○宮城県
本文
[未校訂]「御三代書上」に「陸奥国に地震後大津波あり、仙台領内
にて溺死者男女千七百八十三人、牛馬八十五頭溺死」また
「南部津軽藩においては人馬三千余溺死」とある。
当町の古老の語伝えによると、明治二十九年の大津波よ
りさらに大きなもので被害も甚だしかったらしいが、詳し
いことは知られていない。今に残る熊ノ林附近の地名や屋
号の「おり」・「かわら」等の名称が当時の津波に起因して
いると伝えられる。すなわち、東海岸石浜より打ち寄せた
高波と、西海岸宿浦より打ち寄せた激浪が熊ノ林附近で衝
突し、折り返して両岸に引き去ったので「おり」という地
名と屋号が出来、波が引き去って磧になり「かわら」とい
う屋号が出来たのだという。牽強附会の説のようで真疑の
程もはかり難いが、慶長津波の恐しさを伝える古老の言
も、あながち一蹴するわけにはいかない。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 98
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 唐桑【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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