[未校訂]慶長の地震津波は十月二十八日に起り、津波は岩沼(名取
郡)附近まで押しよせた。岩沼町は海岸から約八キロの内
陸にあるから強大な津波であったことが知られ、津波が河
川・水路をさかのぼる通則からみて被害範囲は広かったも
のとみられる。その後、津波のために荒地と化した土地の
起返し開墾が所々で行われたことによって窺うことが出来
る。
注6 宮城郡荒浜(仙台市)の北谷地・東北谷地は、慶
長十六年の津波によって荒地化し、明暦年中に松島
瑞巌寺の住職雲居禅師が見立開墾したもので、「う
ぐい田」と呼ばれている。この開墾によって割前を
受けた百姓は四十五人である。
下飯田新田(仙台市)の地は、慶長十六年十月の大
津波で八日間も海水浸しになったといわれ、政宗の
荒地起返開墾のお触れに応じて、水沢(岩手県)邑
主留守宗利が見立てて寛永二年に開墾し、下飯田の
集落が出来た。
三本塚の旧集落一帯(仙台市)は、慶長十六年十月
の津波海浸によって荒地化し、その起返しとして広
瀬村(宮城村)の佐藤出雲家が開墾した。その後、
門目・山路・山田・小荒井の四藩士により荒所起返
し、新田開墾が行われた。起返し地に「汐入悪地」
と検見されたものもあった。寛永十九年の検地に、
(前略) 一貫七百四十九文、汐入悪地
銘下 七切半銘