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項目 内容
ID J0600254
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1611/12/02
和暦 慶長十六年十月二十八日
綱文 慶長十六年十月二十八日(一六一一・一二・二)〔北海道南東岸・津軽・三陸〕⇨津浪あり
書名 〔宮城県史 二二〕
本文
[未校訂]慶長の地震津波は十月二十八日に起り、津波は岩沼(名取
郡)附近まで押しよせた。岩沼町は海岸から約八キロの内
陸にあるから強大な津波であったことが知られ、津波が河
川・水路をさかのぼる通則からみて被害範囲は広かったも
のとみられる。その後、津波のために荒地と化した土地の
起返し開墾が所々で行われたことによって窺うことが出来
る。
注6 宮城郡荒浜(仙台市)の北谷地・東北谷地は、慶
長十六年の津波によって荒地化し、明暦年中に松島
瑞巌寺の住職雲居禅師が見立開墾したもので、「う
ぐい田」と呼ばれている。この開墾によって割前を
受けた百姓は四十五人である。
下飯田新田(仙台市)の地は、慶長十六年十月の大
津波で八日間も海水浸しになったといわれ、政宗の
荒地起返開墾のお触れに応じて、水沢(岩手県)邑
主留守宗利が見立てて寛永二年に開墾し、下飯田の
集落が出来た。
三本塚の旧集落一帯(仙台市)は、慶長十六年十月
の津波海浸によって荒地化し、その起返しとして広
瀬村(宮城村)の佐藤出雲家が開墾した。その後、
門目・山路・山田・小荒井の四藩士により荒所起返
し、新田開墾が行われた。起返し地に「汐入悪地」
と検見されたものもあった。寛永十九年の検地に、
(前略) 一貫七百四十九文、汐入悪地
銘下 七切半銘
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 97
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 仙台【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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