[未校訂] 以上、元禄地震について記してきたが、前表に見られる
とおり、しばしば本町は津波の惨害を蒙ってきた。地方の
古文書には見られないが前表の1の慶長九年の地震は二つ
の震源をもった強烈なものであり、被害地域は関東から四
国、九州に及んでいる。震動による被害の記録はなく、津
波による被害が大きかったようである。
「沖合すさまじく鳴動するうちに津波がおこり、小山の
中腹にまで押寄せた。このため、安房・上総・下総の海
岸四十五ケ所の漁家、民家は悉く押し流され、人畜の溺
死するもの数を知らず。また、山崩れによって海が埋め
られて山となったところもあるという。(関八州古戦録)」
このような記録があるが、本町の被害については伝える
ものがないために知る由もない。ただ、慶長期が、地曳網
漁業の最盛期以前であったこともあり、さして海岸への進
出が緩漫な時だけに、犠牲者の数も元禄地震に比べて少な
かったのではないかとも思われる。