[未校訂]慶長六年山内一豊の入封となって浦戸の城にあるや、同九
年に至り前代修築の突堤は激浪の為に崩潰し、彼の北方の
澪筋も浅淤して船舶の出入に困難を来したが、寛文年間賢
宰野中兼山が奉行職に登用せらるゝに及び、彼は天賦の材
幹を以て長宗我部元親の築堤以上に大規模の設計を立て、
勝浦浜の古堤を修補すると同時に、対岸種崎にも突堤を構
築したので、潮流漸く旧に復し、澪筋も水深を生じ、土砂
の放流をも容易ならしめた。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0600156 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1605/02/03 |
和暦 | 慶長九年十二月十六日 |
綱文 | 慶長九年十二月十六日(一六〇五・二・三)〔東海・南海・西海諸道〕⇨大津波伴う |
書名 | 〔浦戸港の沿革と其の史蹟〕▽ |
本文 |
[未校訂]慶長六年山内一豊の入封となって浦戸の城にあるや、同九
年に至り前代修築の突堤は激浪の為に崩潰し、彼の北方の 澪筋も浅淤して船舶の出入に困難を来したが、寛文年間賢 宰野中兼山が奉行職に登用せらるゝに及び、彼は天賦の材 幹を以て長宗我部元親の築堤以上に大規模の設計を立て、 勝浦浜の古堤を修補すると同時に、対岸種崎にも突堤を構 築したので、潮流漸く旧に復し、澪筋も水深を生じ、土砂 の放流をも容易ならしめた。 |
出典 | 新収日本地震史料 第2巻 |
ページ | 76 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 高知 |
市区町村 |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る
検索時間: 0.001秒