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項目 内容
ID J0502438
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔東山見村史料〕
本文
[未校訂]【極性寺歴代略記】
天正十三年紀元二二四五 十一月二十二日大地震のため庄
川河身変更せり。
【越中史料 加越能三ケ国御絵図被仰付候覚書六 石崎
記録】
庄川之事
其後は藤掛舟渡場より青嶋村高儀新村五ケ辺より四江流水
申候然処天正十三年十一月二十二日大地震に而金谷岩黒村
之東之山庄川之蛇島と申所江抜落庄川を突留め名ケ原之麓
江崩流候此時今之川筋出来申由にて其節雄神社も中村江流
行若林之口水宮江上り玉ふ由之事。
【越中国名跡志】
庄川大川也天正十三年十一月二十九日大地震にて木船の城
をゆり沈めし日此ひゞきにて此川上の山へぬけて庄川へ崩
入り水口を塞きければ二十日計り水留りて山々は水溢れて
庄川は河原と成鮭の魚其外の魚も拾ひ取金沢高岡へ持運け
る老功の者申様此水一度は流来るへし其時川縁にては押流
れし事必定にて去は立退て水を遁よと云儘に増山、森山、
佐ケ野の方へ立退、山に家居せしか水は自然に流れ来る無
難に帰りけり、其水口之弁才天を勧請して山は弁才天山と
云、此地震にて他国の事ながら飛州白川と云所は民家三百
余りの所也天正十三年の地震に高き山一つぬけ出て白川三
百余の家の上へ落懸て家は三丈斗の地の下へ沈みければ数
百の男女も地下へ沈て白川村は枯葉もなき荒山と成り霜月
下旬の事なれば白川のもの六人富山へ売物に行命助り白川
へ帰りて見ればあとの形はかはり何れは古里のあとならん
と泣々又また富山へ戻りけり。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 166
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
市区町村 東山見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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