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項目 内容
ID J0502437
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔中野村誌〕
本文
[未校訂]近世時代 現今の庄川は天正十三年(紀元二、二四五)十
一月二十七日(越中名跡誌には二十九日とあり)大地震あり、山嶽崩壊し、其上
飛驒国白川にては人家三百戸、人馬と共に土中に埋まり、生
存する者僅に六人。又木舟城は陥没して城主父子一時に圧
死せり。地震は夜半に起り其後日々震動甚しく、止まざるこ
と十二日間に及びたりと云ふを以て非常の大地震たるを知
るべし。此地震にて金屋岩黒の東蛇嶋にて山崩れ、為めに
庄川汎濫して神原の麓庄の城より西方の山脈を突破し去り
しにより其山骨たりし大岩の水中に残りしもの、現今の弁
才天神社の地是なり。又此地震にて山崩れ、庄川の水止ま
る事二旬、衆民河水の一時に突出せん事を恐れ、井波町、安
居山、増山、守山等へ避難し、雪中仮小屋を作る等大に周
章狼狽して、非常の困苦を極めしが、水は二つに分れ、其
東へ流れたる者は現今の庄川となり、西へ潰へたる者は中
村川(野尻用水一本橋より下九十六間にあり)千保川(中
村川より二百間下夫より七百間を千保川前と称したり)等
に分注し、其水勢緩漫なりし為め、幸に家屋人畜等に害な
かりしかば、是偏へに河伯の恵なりとして、衆民悦の余り
大岩の上に弁才天神を勧請したり。又此洪水にて雄神神社
の御神体、水の宮まて流出玉へりと云(以上は三壼記十三
巻。三州志。石崎。水上。安藤三旧家等の記録に因る)
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 165
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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