[未校訂]一、一色の奥赤崩村の滅亡セしハ天正十五年の頃にや、白
川帰り雲の郷民白山へ狩ニ登り別山の御神体銀仏也と聞
て取らんとしけるに重クて手に及事なし、後妻に習て女
の脚布を神躰にまとひけれハ軽くなる、是を取て金山の
吹屋へもて行吹わけんとす、郡上にし洞の内釜ケ洞の者
と同心して此赤崩ニ来り、山をこへて、郡上みそれ村ニ
金山の有ける吹屋へ持行ける、帰り雲村・釜か洞・赤崩
の人みそれの人四か所同心して七日七夜吹けるに、天地
くらやみと成、震動雷電して山鳴谷こたへ、帰り雲のう
しろの大山抜落て城も民家もつき埋め、大川をせぎ切三
里川上へたゝへて、内か嶋の一嶋此時断絶す、一時に釜
が洞もぬけ、赤崩もつきうずむ、水沢上一村もつき込ん
で、水沢上にのこる者ハ八十余の姥一人、茶がま一つ岩
の上へ吹上られて助る、その茶がま今一色ニ有、帰り雲
ハ内ケ嶋新右衛門と言人郡上遠故家へ使者ニ行て一人た
すかると言、天正十五年の事也と言