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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J0502083
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔津市史三〕
本文
[未校訂](伊勢名勝志)
津市街及乙部 下部由数村の地一帯水田をなす。乃ち此区
を称す五鈴遺響里人云ふ明応七年地震の際沈没し悉く洲渚に変
すと、今津興村東北十余町の地猶湊田の名を存す。
(伊勢路の志類遍)
津の西なる松原なりといへり、又一説に古のあのゝ松原は
海辺なりしを後土御門院明応年中の地震に海辺十八丁ほど
松原と共に海に入りて古にはあらすともいへり
(草陰冊子)
岩田川口の南津興の東にある水田十余丁の処に湊田の名は
存すれとも往昔は安濃浦に沿ひたる一帯の水田を云ひしな
らん。これも明応の震災に地形の変はりしと思はる。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 122
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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