[未校訂]平安時代の東海道はこの砂州の上を通っていたので浜名川
には五十六[丈|じよう]の長橋が架せられていた。鎌倉時代における
橋本駅の繁栄は海道に並ぶものがないといわれていたが、
室町時代以後に襲ったたびたびの津波とくに明応七年(一
四九八)のものは猛威をふるい、今切の口が決潰して湖海
相通じた。また西端も切れて離れ島となった。これが弁天
島である。浜名川も埋没し、現在の小川にその跡を示すに
過ぎない。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J0502074 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日 |
書名 | 〔浜松市史一〕▽ |
本文 |
[未校訂]平安時代の東海道はこの砂州の上を通っていたので浜名川
には五十六[丈|じよう]の長橋が架せられていた。鎌倉時代における 橋本駅の繁栄は海道に並ぶものがないといわれていたが、 室町時代以後に襲ったたびたびの津波とくに明応七年(一 四九八)のものは猛威をふるい、今切の口が決潰して湖海 相通じた。また西端も切れて離れ島となった。これが弁天 島である。浜名川も埋没し、現在の小川にその跡を示すに 過ぎない。 |
出典 | 新収日本地震史料 第1巻 |
ページ | 117 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 | 浜松【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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