Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0502075
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔掛川志稿十三〕▽
本文
[未校訂]須田氏 峡名野に住す、今は栄次郎と称す。先祖須田対馬
守広、法名正清、時の地頭渡辺石見守の代官にて文亀大永
年間の人也、其子隼人佐忠広、天文永禄の間の人也、其子
図書助盛吉、永禄天正の間の人也、沢神社及神明の棟札に
其名見えたり、対馬守の時、浜の安城に住す津浪以後天文
四年より此所に移る。又延命寺にある墓表に須田対馬守久
盛其六世須田九兵衛広次、其長男弥右衛門貞徳、二男九兵
衛広貞、三男三郎兵衛盛忠此外の文字読かたし、須田氏家
譜なき故に、世次詳ならず、栄次郎か外同氏多し、今の名
主儀左衛門は栄次郎の分家なり
(注、▽には宝永地震の項に含まれている)
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 117
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒