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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J0500031
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0684/11/26
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0684/11/29
和暦 天武天皇十三年十月十四日
綱文 天武天皇十三年十月十四日(六八四・一一・二九)〔南海道〕
書名 〔高知県史古代中世編〕
本文
[未校訂](前略)県内のあちらこちらの口碑に残る云い伝えがある。
なかでも黒田郡の話はおもしろい。
「白鳳地震陥没の地面は、東の方室戸岬より西の方足摺
岬に達する黒田郡と称する一円の大地なり。」
とし、黒田郡を黒田・里土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二
十六万石程の地というこまかいものや、陥没の音が京都ま
で聞えたという大変なおまけ付きのものまである。
これについて、高岡郡に残る云い伝えが多く、
 「昔、[大良|おおら]千軒、[小田|おだ]千軒などいえる繁栄の市あり、白
 鳳地震の時陥没して今海底に帰せり。」
というもの、須崎海上大坊千軒の鳴神の伝説、野見・大
谷・久通などの山上の古墓の伝説、仁井田の高岡神社の伝
説がある。もう一ヵ所高知市近傍があげられているが、高
岡郡や高知市のものは、陥没面積はほぼ妥当なもののよう
である。
次のような口碑がある
 高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕という。距離六、
七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄
せ、この山脈を蹴破りて小海峡をなせしが、当時その打欠
ぎたる山の一部をば、なお潮勢にて北に押流し、孕より二
十丁程北方に坐らしめたり。これ今日の比島なり。
口碑も、こうなるとあいきょうがある。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 3
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 高知【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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