[未校訂]安政五年二月二十六日。
後藤翁の記事○次ニ揭グの通りなり。
拙宅も破壞は致さゞりしも此時改築せしものの由にて其間
隣邸に假屋住居をなせり。
福村氏物語○前揭の前年十二月より地震度々ありしとの事は
或は誤傳ならんか。後藤翁も其記憶なきか記事に見えず。
小屋住みとは五年の大地震後の狀況にして又前年十二月は
或は前記安政元年の地震と混同せしにはあらざるかと想
ふ。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0400859 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1858/04/09 |
和暦 | 安政五年二月二十六日 |
綱文 | 安政五年二月二十六日(西曆一八五八、四、九、)二時、越中・飛驒・越前、大地震。先ヅ是ノ日午前一時頃飛驒ノ北部ニ烈震ヲ發シ、潰家七百十一戸、死者二百九人ヲ算シ、白川谷ニハ山崩ヲ生ジタリ。コノ時越中立山溫泉附近ナル小鳶山爆發飛散シ崩土常願寺川上流ヲ堰塞ス。次イデ約二時間ヲ經テ、越前北部ニ再ビ烈震ヲ發シ、丸岡・金津ニテ二百戸潰レ、加賀大聖寺ニテ百戸潰レタリ。常願寺川上流ノ堰塞ハ三月十日ニ至リテ決潰シ、家屋百二十餘戸ヲ流失シ、更ニ二ケ月ヲ經テ四月二十六日再ビ決潰アリ。百四十八ケ村ヲ通ジテ溺死者百四十人、流失並ニ倒潰家屋千六百十二戸、流失土藏・納屋八百九十六棟ニ及ベリ。 |
書名 | ☆〔清水沖一郎大聖寺町地震年代表〕 |
本文 |
[未校訂]安政五年二月二十六日。
後藤翁の記事○次ニ揭グの通りなり。 拙宅も破壞は致さゞりしも此時改築せしものの由にて其間 隣邸に假屋住居をなせり。 福村氏物語○前揭の前年十二月より地震度々ありしとの事は 或は誤傳ならんか。後藤翁も其記憶なきか記事に見えず。 小屋住みとは五年の大地震後の狀況にして又前年十二月は 或は前記安政元年の地震と混同せしにはあらざるかと想 ふ。 |
出典 | 日本地震史料 |
ページ | 727 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 石川 |
市区町村 | 大聖寺【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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