[未校訂]其後安政二年卯○元年寅ノ誤也冬十一月の地震ハ爲泰神門郡にもの
すとて出雲郡千家村迄至れるに、俄に目くるめきて足たゝす、
持病起れりやと思ふ程にもあれ、大地大波の打かことくに見
えて、片邊なる長雲寺の松三百年にも及へく思はれける老木
ほつえ、寺の屋根につくと思ふはかりゆるまて、此寺をはし
め家每にものゝ落る音、ころひたをるゝ音おひたゝしき事に
なん。又左右のあけ田の水うねことに打越てゆりけり。やゝ
をさまり方になれるころ、空中にて震動鳴動せり。神立村に
いたれるまて猶やます、此夜爰にとゝまれるに、此あたりの
百姓とも皆家を明て出雲川の川堤の上にて夜明せしとそ。宿
の主いへらく、大きにゆるきなハ起すべし、心落ゐて玉へと
いへは、其口にまかせて打臥ぬ。夜中幾度となくゆるきける
度每に、家刀自らは懸出たりしとなん。おのれは終日の歩行
にくたひれてよく寢て、翌日のあした思ふに、松江はいかはか
りの事ならん、それ聞すして行へきにあらすとて神立を出で、
だん原といふ所まで歸りしに、出西より庄原へ川遠ありし新
川の南堤、二三町はかりの所しつみけるを、向より來れる人
に尋ねけれは、昨日の地震に如斯しつめり、恐しき地震なり
しといへり。扨松江を出くる人あらは尋まほしく思へとも、
西より東えとをるはありなから、東より西へ來れる人更にな
かりけり。やう〳〵完路の中山まて歸り來れるに、向より旅
人來れるに尋ぬるに、松江さのみかはる事不承といへるに、
少し落ゐたり。さてひた急にいそきて夕つ方家に歸り來れる
に、かたみに無事をよろこへり。爲泰はよそにありて家の事
をおもひ、家人は爲泰か地さけて落入ともせさりしやと思ひ
しもことわりなりけり。此時に、
あらかねの地や此比動なき
御代にかハりてゆるへそめけん
とありしと木の國長澤伴雄かりへ云遣しけれは、かなたはこ
なたに增りてふるへるよしいひて、其時に、
霜さやく竹の下ふしよもすから
身さへ家さへふるひのみして
とはよめりと云おこせたりき。扨此地震は東國ことに強くふ
るひしと見えて、翌○々脱三年辰春二月松江を出て武藏國本牧
へ行し時、舞坂の松原ころひかへりしを見て驚きつゝ行道す
から、殊に駿河路の驛々大かたに碎け潰れたる跡廣野とあれ
はて、目もあてられぬありさまなりけり、又沼津城の石垣崩
れたるを見、府中驛 あれにけるを見、或ハ其時の事とも聞
に、あはれ至極の事になん。