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項目 内容
ID J0202085
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1780/07/19
和暦 安永九年六月十八日
綱文 安永九年六月十八日(西暦一七八〇、七、一九、)ヨリ二十三日マデ青ケ島之夥シキ地震ヲ發シタタルガ、二十七日ニ至リ池ノ丸橋ト認メル地ニ火口ヲ生ジ、次イデ多クノ火口出現シ熱水沸騰セリ、
書名 〔伊豆海島風土記〕
本文
[未校訂]此島○青ケ島海辺は高山嶮岨に迫り、又其内外海とひとしき程深き洞あり、内に二つの湖あり、北の方なるは大池といひ、廻り二十七八町、角の湖は廻り十二三町ありて小池をいへり、おとゝし○安永八年の秋、大ひに地震ひ、大池の廻りの巖浦でも五十餘は俄の穴出來、火氣立昇り、山焼を成り、其煙にむせびてく人々咳出る事晝夜不止、草木も悉く模氣にいたみ、山野に青きものなかりしかば、壞もつき、島人のくなしみなへかたかりし、然るに去年○安永九年の春より、山焼大池の西のほとりにあつまる、其〓は漸しつまりぬ、今も数々の穴より煙は出れども、人の憂なし、彼の焼集りし所、五六十間の内は尤焼濃く、硫黄の氣甚し、様子も見分けがたし、去れど煙は風の吹來る時心を附て見るに、わたり七八間計まじかに温泉湛へて湧き返り、又其次に八尺程の穴あり、湧立熱湯の勢ひ著しく、其辺鳴震ひ、地上へ湧上る事三丈餘り、又五尺半の湯穴あり、異も一丈程づゝ湧上り、湯モ飛散て當りへ近付事不能、此熱湯みな流れ込、池水一滴の能程の湯と成るゆゑ、島人所々に古をたゝみ、湯坪を儲け湯治するに、病のへだてなく其印を得る、
大池の廻りは、昔より専麥栗杯作る畑なり、土は砂交りの渋真土にて肥良の地なるに、噴の山焼にて半は黒土となりぬ、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 551
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 大島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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