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項目 内容
ID J0200161
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1700/02/10
和暦 元禄十二年十二月二十二日
綱文 元禄十二年十二月廿三日(西暦一七〇〇、二、一〇、)加賀國金沢卯辰山再ビ崩壞シ、壓死者三十一人、家屋倒壞若干ヲ出セリ、
書名 〔聞書〕
本文
[未校訂]一、同年十二月廿三日申の中刻茶臼山崩落て浅野川を埋、川除の上を越、人家の上迄打掛る、其上の高〓十丈許、長さ百間餘の山と成、人家多埋る、潰家多くして死人多し、川をせき留める故、水溢れて材木町之方へ流行、水に溺れ崩れ家多し、假令崩家も、水筋に有之家は引崩して、川え早速水落る樣にし、津田玄番下屋敷之辺に、船に而往來不致しては通路なし、山の高さ平均八間、崩口より崩れ止り迄八十間、川長さ百二十間、潰家十五軒、一説に長さ百三十間餘、幅九十間餘、高さ十三間、家四十四軒、内八軒は土の下、三十六間突毀し、外八軒半潰、死人八人、内五人男三人女、二百石組外塚本左内、御大工中村九太夫、御細工人加藤仁兵衞、御大工中村勘左衞門、御扶持方大工小右衞門、由比孫兵衞、新屋敷林彌平太、御鉄砲張大橋久丞、名相知たる分如此、右山崩れに付御奉行八人、廿五日於越後屋敷被仰渡也、二千五百石茨木左太夫、千石柵大学、千石生駒萬兵衞、千石山崎彦左衞門、千石富永権之助、千石大橋九郎兵衞、八百石荒木六兵衞、六百石大原十郎左衞門、此八人此所に丁場を立、数百人之役人を以て水を切落し、浅野川を通し、土下の死人を掘出す、明春に至る、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 26
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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