建保年中(一二一五年頃)に坂手の地に、坂手山大通院(真言宗)が開基された。——一説には永仁三年三月十五日開基とある。「この寺は近在にない大寺であった」と記されている。——永禄年中(一五六〇年頃)に浄土真宗に改宗し、西勝寺と号した。天酉地震(天正十三年−一五八五年)の後(一説に元亀年中ともある)尾張国海西郡立田村に転じ、更に慶長二年(一五九七年)桑各殿町に転じ、寛永十八年(一六四一年)再び桑名萱町に転じた。最勝寺とよんでいる。
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長島城
而して正保年中の松平定政の公府への訴状によると「天正年中依地震、殿守顛倒、其余大破壊、而後雖有再制僅不及其手、爾来城主力乏、而代々零落、二ノ丸塀亦無何竹薮生茂、然此城古来月無門於地方旅人夜日往還元」とあり、これから見ると、定芳の長島城修復は根本的なものでなかったようである。
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中道場の地は東光寺の屋敷跡である。東光寺も天酉の地震によって美濃国へ転退している。なお字名に東光寺川田というのがある。