Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J00004915
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(西暦 1498,9,20)
書名 〔志摩国郷土史〕中岡志州著 中岡登
本文
大津、国崎とあるのは昔、今の国崎町が大津と国崎の二部落にわかれていたから、そう命名されたのであろう。今の国崎町南西部の大津浜付近に一部落があったわけで、同部落は昔、(明応七年八月と安政元年十一月とも伝う)地震か又は台風による津波をうけて全滅したものと推考される。勿論国崎も甚大な被害をうけたものであろう。恐らく江戸時代より古い災害で、両村で生き残った人々が今の国崎町の里、一村に縮小してしまって里作りしたものであろう。
同じ様なことが答志島の答志と和具の二つの里にもあって、答志村一村になってしまった。記録には残っていないけれど恐らく同じ時の津波でやられたものと思われる。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 志摩【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.003秒