(伊勢名勝志)
津市街及乙部 下部由数村の地一帯水田をなす。乃ち此区を称す、五鈴、遺響、里人云ふ明応七年地震の際沈没し悉く洲渚に変すと、今津興村東北十余町の地猶湊田の名を存す。
(伊勢路の志類遍)
津の西なる松原なりといへり、又一説に古のあのゝ松原は海辺なりしを後土御門院明応年中の地震に海辺十八丁ほど松原と共に海に入りて古にはあらすともいへり
(草陰冊子)
岩田川口の南津興の東にある水田十余丁の処に湊田の名は存すれとも往昔は安濃浦に沿ひたる一帯の水田を云ひしならん。これも明応の震災に地形の変はりしと思はる。