玉降山海善寺
(中略)
当寺の開基詳ならず。中興開山呑海上人は、美濃国谷汲寺の住侶なりしが、熊野三山へ順礼の折から、当郷和田鵜のしま、和田うらの事跡は、松江浦、の条下にくはしくしるす。、漁師右衛門吉、今植松町に、其子孫あり、、といへるものゝ宅に止宿したまふのとき、王船御神乃事跡をたづね、有縁の地なればとて、廃せしを再営して一字を建て、すなはち王船の御神を鎮守となしける、然るに彼地、大浪ごとに数害あるによりて、明応年間こゝに堂宇をうつして、西山派の浄刹とはなりぬ、
(中略)
小野山安養寺 御小人町南にあり、(中略)しかるに応仁の兵火に罹つて荒廃におよびしを、本尊ならびに天満宮を、明応年中和田浦より当湊小野村、今小野町、といふ、、に引移せしを、慶長年中桑山果報院此地に移して、今の道場とはなれり、
鵜島 上町・網屋町・.材木町・植松町、此四町は一くるわにして、明応年間和田うら鵜の島つなみして、大半破却におよびしより、こゝにうつして漁職をなす。