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項目 内容
ID J00004890
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(西暦 1498,9,20)
書名 〔紀伊続風土記〕○紀伊続風土記 第一輯
本文
植松町、四町旧和田浦鵜ノ島にあり明応ノ比津浪により此地に引移りたる町なり鵜ノ島は今名草郡雑賀荘松江并に北島の地なり植松町の事名所旧跡部植松長者の条并せ見るへし。、
(中略)
○吹上社 小野町二町目古名雄ノ芝といふ所にあり湊及吹上の産土神なり。(中略)一説に此神旧は和田浦鵜ノ島にあり明応ノ比和田浦高波に破られ村民神祠仏宇と共に湊村に移る此ノ神も其時此地に移れるなりといへり。
(中略)
西の方海浜に至りては砂土次第に多く聚り且古よりは海潮も西に退き落て広き洲浜出来り終に一村をなし和田浦とて人家も多かりしなり明応以前大浪の時一村流失せり其残れる居民明応の頃皆湊村に移る今の上町植松町材木町網屋町の人家は皆和田浦鵜島等より移れるなり今東松江の内和田殿松といへる古松あり此辺和田浦の故地ならん。(中略)和田浦流失して後新に村居をなして松江村といふ。
(中略)
東松江村
(中略)
相伝ふ古此地に和田浦といふあり人家も多かりしに明応以前津浪の時一村流失す其遺民明応の頃皆湊村に移れるとそ和田浦の故跡今的に何れの所なる事を知らすといへとも今村の東の端に和田殿松と称する松一株あり、国老久野氏の、別荘にあり、然れは今の東松江の辺古の和田浦の地ならん
(中略)
外浜
此地紀川の下流にあるを以て砂土を衝出し海よりは浪にて砂土を淘揚て何となく広き砂山となりて和田浦といふ村居出来りしに海嘯に掃蕩て其村は亡絶せり其後年を歴て旧の形となりて今の松江なとの村出来れとも南の端は猶砂浜の荒地なりしに湊村より墾闢せるなり。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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