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項目 内容
ID J00000142
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0678/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0678/99/99
和暦 天武天皇六年十二月
綱文 天武天皇七年十二月(西暦 678)
書名 〔紀伊南牟婁郡誌下〕
本文
(各地伝説)
新鹿村(新鹿)
大海嘯 天武天皇十二年十月四日四ツ時(十時)大地震アリ。此時字奥ノ野今ノ津江奥、犬戻リト言フ所マデ海嘯打寄セ里ノ奥ハ船道ト言フ所マデ押シ寄セ船打チ上リタリト言ヒ伝フ。
〔高知県史、古代、中世、編〕
(前略)県内のあちらこちらの口碑に残る云い伝えがある。なかでも黒田郡の話はおもしろい。
「白鳳地震陥没の地面は、東の方室戸岬より西の方足摺岬に達する黒田郡と称する一円の大地なり。」
とし、黒田郡を黒田・里土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二十六万石程の地というこまかいものや、陥没の音が京都まで聞えたという大変なおまけ付きのものまである。
これについて、高岡郡に残る云い伝えが多く、
「昔、大良(おおら)千軒、小田(おだ)千軒などいえる繁栄の市あり、白鳳地震の時陥没して今海底に帰せり。」
というもの、須崎海上大坊千軒の鳴神の伝説、野見・大谷・久通などの山上の古墓の伝説、仁井田の高岡神社の伝説がある。もう一カ所高知市近傍があげられているが、高岡郡や高知市のものは、陥没面積はほぼ妥当なもののようである。
--- 次のような口碑がある
高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕という。距離六、七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄せ、この山脈を蹴破りて小海峡をなせしが、当時その打欠ぎたる山の一部をば、なお潮勢にて北に押流し、孕より二十丁程北方に坐らしめたり。これ今日の比島なり。
口碑も、こうなるとあいきょうがある。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 木本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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