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項目 内容
ID H00010607
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔御拝借金連印証文帳〕○三条町
本文
(表紙)(「 文政十一年
御拝借金連印証文帳
子 十二月
大町」)覚
(はり紙)丑十月十九日改
一済金差引高金三百四拾両也
十二月廿五日
一金拾両             藤右衛門(墨引アリ)(印)
(はり紙)天保十一子年八月廿九日済
十二月
町代
一金拾両             多助
残、内元金拾両丑六月十三日済、利足金、
一金拾五両    印        きち(印)
此内金印七両也丑六月七日取替
又金印八両也 同六月十二日取替
十二月十八日
一金弐印拾両            六右衛門(印)
十二月十八日
一金弐拾両            仁左衛門(印)
十二月十六日
一金弐印拾両             市郎次(印)
同日        印
一金弐印拾両             伴七(印)
同十七日
一金印拾両             弥右衛門(印)
十二月十六日
一金拾印五両             平吉(印)
丑三月二日
両度ニ
同七日
一金拾印五両             永助(印)
十二月十六日
本寺小路
一金印拾両              金次郎(印)
同日

一金拾印両              儀惣治(印)
本寺小路
一金拾両              才助(印)

一金拾両              ひさ(印)
十二月十八日

一金印拾両              藤兵衛(印)
同日

一金印拾五両             鹿之助(印)
十二月十八日
本寺小路
一金拾印五両             宇太次(印)
十二月十八日

一金拾印(墨引あり)五両(墨引あり)利三治(印)
天保十一子年八月晦日済
十二月十六日

一金印拾両             茂右衛門(印)
同日

一金拾印五両             源右衛門(印)
十二月十六日
本寺小路
一金拾印五両             又右衛門(印)
同日
寺町
一金印五両               久四郎(印)
同日

一金印五両               甚兵衛(印)
同日
大町川戸小路
一金印五両               茂八(印)
十二月十六日
寺町
一金印五両               勘平(印)

一金五両               兵次郎(印)
十二月十六日

一金印五両               幸次郎(印)
同十八日

一金(ママ)(墨引あり)五両墨引あり三次郎
天保四年
巳十月十八日元利相済
十二月十六日
寺町
一金印五両               三吉(印)


一金印五両               茂吉(印)
同日

一金印五両               久兵衛(印)
同日

一金印五両               出来平(印)
十二月十六日
一金印五両               由之助(印)
同日
一金印五両               重兵衛(印)
大町川戸小路
一金印五両               六蔵(印)
大町
一金拾両               善六
十二月廿一日
一金印拾両              太左衛門(印)
丑四月七渡ス
本寺小路
一金五印両也             初右衛門(印)
右は今般変事其上焼失仕一同必至と差詰渡世之経営も仕兼候所、格別之御取斗を以御拝借被成下、前書之通銘々御貸附被下置難有拝借仕候所相違無御座候、然上は来ル丑寅両年御利足之儀十二月中上納仕、卯年〓未年迄五ヶ年賦ニ而年々御利足相添急度返上可仕、為後日拝借連印証文差上申所仍如件
文政十一子年十二月       弥右衛門(印)
(注、以下三十七名の名前・印略)
前書之通相違無御座、万一差滞候者御座候ハヽ所持之居屋敷を以取斗、右年限無遅滞急度上納可仕候 以上
右町丁代
町                多助(印)
御会所               改印(印)
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 新潟
市区町村 三条【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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