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項目 内容
ID H00010598
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔越後国地震一件写〕柳河藩政史料
本文
十六日夜五ツ過当国村上城主内藤紀伊守様御家来御領分ニ付児来ニ、夜ニ入被越候幸に此状四ツ過〓急々認申候、直ニ役人出立致され候〓少しの内ニ認候へハ、落字又ハわからぬ処宜敷御よみわけ可被下候、かくしたゝめの候内ニも平日のつよき地震ニ御座候、命有てこそと丸はだかニ而も地震のなき所江可参と存候 一あわれの咄しハかす/\候得共、其中ニ三十位の女家つふれ火ニ而足〓尻迄首計道中江出し、かなしき声を上ケ、とふそ首を切て(給)たへ、尻も足も焼て不叶はやく死たし首を切てくれよとさけぶ、是を聞て首を切居候所江通り懸り候と直の咄に承り申候、たすけてくれと申なきさけび候者ハ数知れす、百ニ壱ツ認申候、御察可被成候
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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都道府県 新潟
市区町村

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