Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID H00010593
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔越後国地震一件写〕柳河藩政史料
本文
扠十二日燕町〓拾丁も過小高村と申ニ来ル、此所名主并徳蓮寺と申寺も懇意ニ候得とも、家半潰壱夜も明しかたく児木迄(赴)趣申候、当村家かず廿軒の余、高弐百石程一軒も損候家無之候、扠十三日明かた〓雪降申候、寒き中を大きなるむすひ飯此程ねたり児木〓二里程御座候三条と申所江昼後〓趣候
此三条と申ハ、家数千四五百軒続申候町、又裏館と申所弐三百軒、又一の木戸と申処千軒ちかく皆のこらす潰申候、まして三条ハ潰ると脇ばたきの内三四ヶ所〓出火、つふれる上ニ焼失、死人三条計三百人位、裏館・一ノ木戸百四五十人も有へく候、三条の御方と申候ハ三百六十ケ寺の本坊ニて御座候、小子文通を請一宿致候寺ニ御座候、浅草門跡〓ハ四歩一位ニも候得共相応の寺ニ御座候、潰候と直ニ九焼、其前の通飯盛(めら)げいしや共百人も可有之、飯盛計二三十人も死申候
扠二里之道を越る道に渡し場二つ有、道筋の土のわれ五寸壱尺又ハ土手ハ廿(間)軒程もきれ候所も御座候、やかて三条の焼場一覧御坊のまへ江参り候所夕刻ニ御さ候、死人の残り弐十人計も見へ候得共人間の姿と相分り候者ハ三人計、外ハ木の焼折候様ニ而人間のかたち見へ不申候、三人のかたち其侭したゝめ候
死人の近所焼残り候、道具もへ居候、手足服真黒ニ而左のことし(図略)
三人共首わかり不申候、白骨もなし不思儀成ことなり斯て御坊のまへニ六十に相成候親父此位のかぶ(図略)五六本持て大声ニ而啼て申けるハ、妻ハ左の手おれ、子壱人有昨朝より飯壱膳もたへ不申候かぶをひろい焚三人の命たすかり候、是に焼飯五ツをあたへ候得ハ金百両を請候歓ニ御座候
古楠正成公之死骸をひろわんと松本佐兵衛かなき候と違ひ殊かハリ候
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 新潟
市区町村

検索時間: 0.002秒