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項目 内容
ID H00010540
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 1828年越後三条地震(文政十一年十一月十二日)
書名 〔越後国三条地震大変記〕
本文
三条在中崩焼死之事
見附宿五百軒程町寺拾ケ寺崩焼死人男女子供百六拾壱人牛馬犬とも弐百四拾疋程
三条町〓今町宿は三百軒程也、是も甚以大崩寺方町家土蔵物置小家迄不残焼失、死人百五十人余、伹宮地障なし、
加茂町宿にては崩斗焼失なし、木にうたれ死ス人七拾人、尤宮地は少も障なし、地震割口より緑青色の砂吹出し、其匂ひの悪敷事世に類なし、壱度かぐ人は立所にて気絶し、又は病人になる人もあり、
今町宿にて三尺斗りとも見へる白足なる四足なるやうな化物出るよし、
大は地震ゆり出候へは何れも山を見掛て走り行たるあり、後にはかつゑに及候得ハ町方へ帰り焼けくすぼりし死人を喰てたすかりしも有、又在町〓町々へ用向にて出る人々多く焼死の分見付次第に俵に入、馬に附帰るも有、又町方に聞は壱軒に七人迄死たる家もあり、是等は其家々の屋敷にて灰寄して片付る者もあり、寺方迚も大混雑の事故弔ふ事なし、自分/\の勝手次第何事に而も其侭打捨置也、
一摠見村不潰徳左久助様御領分にて化生のもの出て人を□たる事あり、
一万頼寺村中新田より壱里の原有、此所へ昼過より化生のもの出、姿は聢は目に見へ兼候、白き綿の様成ものに行当るよとおもへば□〓細き物にて打とおもふと、惣身骨崩れ骨なしになりたるもの廿人もあり、又即死の者拾人余もあり、不潰徳左久助様御家中へ段々御吟味被仰付候得共、姿のなきもの故無詮方其日を送りける、
辺に鉄砲の名人有、常々心掛ケ有者故に鳥渡隣村へ行にも鉄砲不放持参して罷出、然に向の方に何か白き物あり、雲ならは天にて有筈、地より出るは難心得と思ひ、右鉄砲を持て弐匁玉を込み、薄白き所を的となし、火蓋を切れは、件の化生の物に当り、立寄見れは猫ほとなるものにて手足は小児の如し、顔は甚夕□□手足には水かきあり、脊には四五分程の薄き気色の毛あり、腹には毛なし、鳴声はしちりきを高く吹出したる#く、誠に此世に此是〓見ぬ珍敷もの成りと、夫〓徳左久助様之御注進申上候処御見分被仰付、右化生の物も地震の割口より出候ものにや、木かきと云イ毛の短き所は□□の如し、其後影干にして不浜様御預り、
御公儀様之御□□の様子に御座候鉄砲の名人鉄砲支配被仰付、当座の御褒美として金子弐百疋双見村百姓万左ヱ門と申もの右鉄砲の名人かくまひ置候故御扶持も被仰付哉と皆々誉ぬ者はなかりけり、
一地震の事聞て付地震迚地斗に而はなし、雲も一面ニ其気立候哉たち鳥とびからす等迄皆々ふぬけに成立あかつては落地に居る所の鶏も初めは鳴て立上り候得共みな/\ふぬけになりとば/\して居候、鳶鷹迚も鳴事せずして遠方へも不行唯うろ/\として居候、世界中灰の降りたる如くにて四方とも見へ分らす肝心の念仏さへ打忘れ夢中に成此世からいましめの地獄を見て心の内にて恐入誠に神力の尊き事は限なし○中、略、
右は越後国三条町大地震にて大変の●荒増噺を聞花咲一山主奥州之帰村之節三条に宿し、国元の土産として亭主より直物語を承り書記をかれしを写もの也、
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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備考
都道府県 新潟
市区町村

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