廿八日癸亥
(中略)
一二見や忠兵衛来ル。越後塩沢すゞ木牧之〓旧冬指越候越後地震之書付、并ニ同人算賀之詩句書そんの分被返之、一封、被届之。予、対面、早〓帰去。
廿九日甲子
(中略)
一余、今日、いせ松坂との村佐五平・京角鹿清蔵・越後鈴木義惣治江遺し候年始状、添状共五通、認之。長文ニ付、まき紙一巻半余に及ぶ。夜ニ入、とし玉どゝも封じ畢ル。尚又、過日二見や忠兵衛持参越後地震の記、謄写ス。
二月朔日乙丑
(中略)
一今朝、越後地震之記、別ニ一通写之、つるや江持ゆくべき処、失念。右本、下野の碑の記のミ、表紙かけ嘉兵衛へたのミおき、且、方則指要・崇正通書・通徳類情等、注文たのミおく。帰宅後、夜ニ入、東雅六巻め披閲。寅刻、就寝。
二日丙寅、今暁、正六時、地震 薄雲、昼、〓、薄晴、夕方、又雲、夜ニ入晴
(中略)
一美少年録第一輯全五冊校合すり本、今朝〓とりしらべ、昼時しらべ終る。折から、清右衛門参候間、二ばん校合ずりよろしき方、おさきへ遣し候様申付、外題等一弐差添、今日、清右衛門ニもたせ遣ス。且、越後牧之〓申来候地震の記、かし遣ス。其後、帰去。
一過日屋代翁塾生山路岩次郎〓たのまれ候扇面染筆、夕方、かねヲ以、もたせ遣ス。序ニ越後地震の記浄書いたし候分一冊・春興拙詠たんざく等、屋代太郎殿へ遣之。拙詠は、先月中約束によつて也。且、先月中、二郎殿〓頼被申候けいせい水滸伝五編、板元つるやへ申遣し候処、うりきらし、出来無之候よしニ付、其段も申遣ス。使かね、差おき、即刻帰宅。○鴬初音、今朝〓はじめて聞之。