輪島并近浦津波聞合之覚
一、十月廿六日朝より南風にて余程吹募、九ツ時頃ひかし風ニ吹替申候、同日八ツの下刻、地震大にして、久しく震動仕申候、然とも半時にハ過不申、地震の后、風止て、海面白く高うねリ波而已にて御座候、然処七ツ時ニ至り、何となく俄に満汐大波のことく、浜かしら或ハ家居まてもうち上、夫より汐引出し申処、凡五、六町はかりも引汐仕申候、尤汐の干あかり、浜となり候所ハ三町計にて御座候、扠又汐の引行候事、甚はやく、川の瀬のことく鳴候て引申候、汐引詰候て後、やゝ淀有様ニ覚申候、五、六町沖にて波を畳あけ、其高事山の如くに相成申候、それより寄来事、又甚はやく御座候、波外場間ちかくなり候波の高さ凡四間計うちあけ候、波の際限所々不同有之、川込ハ凡十町はかりにて御座候、常の波ハ頭より折候てしろく、津波ハ下タ折候て平等に白く、只一枚に寄来申候、如此大ナル波三枚はかり御座候、しかれとも漸々に引汐少く、波又劣申候、自然夕景まても少々宛満干有之、夜に入候ても汐の狂ひ御座候、扠波のいろハ薄く濁て相見申候、味の義其節溺候人に承り候ヘハ、泥水を呑心地にて敢て汐の味無之と覚候のよし語申候、近浦之儀津波之模様指て異事も無御座、最初波の寄来る如く満汐有之、夫より弐百間計も引汐仕しかへし后、波寄来申候得共、多分ハ浜頭迄に納り申候、然共都て不一様、所々不同御座候、津波前後の模様、廿二、三日頃より廿五日夜半まて、気候不順成温さにて、海底の鳴候事も御座候、津波の後ハ気候定り申候
右津波之様子有増如此ニ御座候、誠ニ稀代之大変にて、人々周章中ニ御座候得ハ、委事ハ相知不申候事
右津波之覚書、奥郡北村氏〓借り受、金沢詰中午三月九日夜写之