元禄十六年
(十一月)
○廿二日、臨時朝会あり、(中略)この夜大地震にて、郭内石垣所々くづれ、櫓多門あまたたをれ、諸大名はじめ士庶の家、数をつくし転倒す、また相模、安房、上総のあたりは海水わきあがり、人家頽崩し、火もえ出て、人畜命を亡ふ者、数ふるにいとまあらず、誠に慶安二年このかたの地震なりとぞ、甲府邸これがために長屋たふれ、火もえ出しかば、増火消を命ぜらる、御所には護持院大僧正召れて夜中まうのぼり、鎮護の加持し奉る、(日記、寛政重修譜、寺伝)○廿三日、家門まうぼられ御けしき伺はる、其外は使して伺奉る、けふも地震なをやまず(日記)○廿四日(中略)○廿五日、紀伊本邸こたびの災にかヽりしかば、しばし鶴姫君を西城の大奥にうつしまいらす、各所破損の地、修理奉行を秋元但馬守喬知、少老稲垣対馬守重富、作事奉行松平伝兵衛乗邦、大島伊勢守義也、普請奉行甲斐荘喜右衛門正永、水野権十郎忠順、小普請奉行布施長門守正房に命ぜられ、 御宮、 霊廟の修理を阿部豊後守正武、少老井上大和守正岑、小普請奉行間宮諸左衛門信明に仰付らる、また先手頭佐野与八郎政信は火賊考察、使番松平善右衛門勝広は日光山巡察奉る、又弥火を警べしと仰出さる、また地震に屋舎そこねし輩休暇をたまふ、日数は火に逢し時の半たるべしと定めらる、(中略)(日記、天享東鑑)○廿六日、火災の時、指揮を待ず速に出て火を防べきむね、脇坂淡路守安照はじめ、六人の輩に伝らる、又火災しげく風烈しき時は、巡番の輩、郭辺しげ/\見廻るべし、定役の外増役をも命ずべしと仰出さる、又令せられりは、強き地震には、番所ならびに伺公の席あくるともくるしからず、近きわたりの庭へ、はゞかりなく出べし、このうへおもひたがへ、座席にありて毀傷せば、己があやまちたるべしとなり、またこのごろ火災しげく、風もはげしければ、廻り番の輩、場所をこたりなく巡察し、 御所近辺もしば/\廻るべし、定廻の外、増廻りをも命ずべしとなり、(日記)○廿七日、このたび非常の大変により、伊勢両大神宮、京二十一社、当府山王、神田明神、相模国鶴岡八幡宮、箱根権現、伊豆権現、三島明神、常陸国鹿島、下総国香取明神、駿河国富士権現、其外大社大寺に祈祷を仰下さる、又各郭石塁破壊により、修理の間、火災等の時出て警衛すべきむね、酒井左衛門尉忠真、榊原式部大輔政邦、本多能登守忠常、板倉周防守重冬、松平対馬守近陣、板倉甲斐守重寛に仰付らる、(中略)(日記)○廿八日、月次拝賀なし、大災によりてなり、郭辺石垣修理の人夫出す事を、松平大膳大夫吉広、藤堂大学高睦、立花飛騨守鑑任、丹羽五郎三郎秀延、稲葉能登守知通、加藤遠江守泰恒、戸沢上総介正誠に仰付らる、大久保隠岐守忠増小田原の居城地震にて大破しければ、就封のいとま給ふ、霊雲寺恵光地震祈祷の事仰付られ、不動秘法廿一座行ふ、(日記、寺伝)○廿九日、勘定奉行荻原近江守重秀こたび各所修築の事沙汰すべしと命ぜらる、各所御修理の仮奉行を小姓組服部久右衛門常方、桑山源七郎一規、大橋与惣右衛門親宗、土屋長三郎正克、根来平左衛門長安、仁賀保内記誠方、書院番朝倉外記豊寿、松平伝左衛門正辰、岡田新八郎利祐、大岡市十郎忠相、水野甚五右衛門守房に仰付らる、大久保隠岐守忠増居城大破により、金一万五千両かしたまふ、けふ小石川水戸の邸より失火しけるに、風はげしく、八重姫御方の第宅より、本郷の方にやけ行て、甲府の別業より東叡の山中にうつり、寮舎若干焼て、湯島天満宮、神田明神、昌平坂大成殿に及び、下谷池端、広小路、筋違橋のうち、神田、浅草鳥越にかゝり、両国橋、大橋も焼落、本所、深川霊巌寺のほとりまでやけぬ、よて水戸邸より、八重姫君は本城にうつり給ふ、かしこには少老加藤越中守明英、上野へは阿部豊後守正武はじめ、多くの輩まかりむかひ、門主公弁法親王には御側安藤信濃守定行をつかはされ、また立のかせ給ふ事あらば供奉せよとて、使番大岡五郎右衛門清相つかはさる、水邸には御側一柳土佐守末礼して、宰相綱条卿、中将吉孚朝臣をとはせらる、(日記)◎この月令せらヽは、このたび火災により、諸商売物はいふまでもなし、諸工、傭夫、牛車、大八車等の賃銭、其他のものも、価騰貴せしむべからずとなり、(大成令)
○十二月朔日、拝賀なし、家門昨日の大火により、使奉り御けしきうかゞはる、水邸に小笠原佐渡守長重御使し、宰相に金二万両、中将に屏風一双、簾中に屏風一双、桧重一組つかはさる、また松平加賀守綱紀、若狭守吉徳、宗対馬守義方、藤堂大学頭高睦災にかゝりしをもて、をの/\御使してとはせ給ふ、書院番大久保甚右衛門忠位破損所の仮奉行を奉はる、けふ護持院大僧正祈祷千座結願、大般若を転読す、(日記、寺伝)○二日、藤堂大学頭高睦災にあひしをもて、石垣の助役を松平右衛門督吉泰に命ぜらる、けふ令せらるヽは、このたび火事、地震にて、居舎破壊し、あるいは焼亡せし輩、営築修理等、この頃は匠工もさしつかゆべければ、速に営築するに及ばず、たとへならせらるゝ道なりともくるしからざれば、先板墻をなしおき、追々に営築すべしとなり、(日記、大成令)○三日、寄合小笠原民部長宥、松平与右衛門長成は、このたびの火事により 厳有院殿霊廟の勤番、書院番天野弥五右衛門昌孚は地震により破損せし所の奉行を奉はる、(中略)けふより護持院大僧正隆光仁王経を講ず、(日記、寺伝)○四日、(中略)松平加賀守綱紀に御側水野肥前守忠位して、屏風二双たまふ、焼亡によてなり、この日火をいましむる事、心いるべきむね令せらる、はた失火のとき、白刃をあらはして、武器もてるものも見ゆれば、前令のごとく、弥さる事あるべからずと令せらる、(日記)○五日、地震により、代官を箱根山に遣わし巡察せしめらる、この日目付の輩へ令せらるゝは、営築により城中へ人夫等多入れば、暮に及び退くとき、のこるものあらんもはかりがたければ、平川口、塩見坂、切手庖所前、其他人夫等まかる所は、宿直の目付両人、徒目付つれて、夜中しば/\まはり、翌朝其旨聞えあぐべしとなり、(日記)○六日(中略)○七日、令せらるゝは、風烈なれば、火をいましむること心いれ、所属の輩、部下へもきびしく命じ、もし失火のときは、近隣のもの馳集り撲滅し、やけひろごらしむべからずとなり、又恩貸金上納の事、このたび火災、地震により、ことしは宥免せらるれば、先に上納せしも、ことしの金は返し給はるべしとなり、また来申年、煙草の事を令せらる、去年十二月二日の令に同じ、また前にも触られしごとく、下馬所其他僕従等あつまる地にて、下人煙草用ゆべからずと、主人より堅く命ずべし、人夫等往来ならびに会集の地も、是に同じかるべしとなり、(日記、年録、大成令)○八日、(中略)このほどの地震により、紅葉山の御詣なし、(日記)○九日、けふ令せらるゝは、巡察の番士、火の元の事、門前へまかり告しらしむるとき、是をきゝ、すみやかに広間より屋敷中廻りのものへ触しむべし、夜中は拍子木をうつべし、昼間にても拍子木をあわせ、宅地中まはるもの、心いれまはるべしとなり、又こたび地震、火災により営作の事、前令のごとく、分限に応じ弥かろくすべし、たとひならせ給ふ道たりともいそぐに及ばず、ゆるやかに搆造すべし、衣服其他今より後、華美にすべからず、音信、贈遣、料理等にいたるまでかろくすべし、さきざき令せられしごとく、火をいましむる事心いれしむべし、もし火おこらば、力を尽しすみやかに打けし、尤近隣よりも馳集り、大火に及ばしむべからず、火災の地見せしむるとて、騎馬のもの出すべからず、火災のとき、昼夜にかぎらず、各門、各橋、往来滞らしむべからず、はた所在の橋際へ、雑具をくべからずと、あらかじめ告諭すべしとなり、(日記、藩翰譜続編、年録)○十日、ことし旱して久しく雨ふらず、地震、火災うちづゝけば、護持院大僧正奉り、けふより水天供を修す、(寺伝)○十一日(中略)○十三日(中略)○十五日、拝賀なし、松平大膳大夫吉広が臣、吉川勝之助広達石垣修理の人夫を命ぜらる、箱根巡察にまかりたる代官に時服給ふ、(日記)○十六日、このたびの地震により、 大内にて内侍所臨時の御神楽あり、其供米を進らせられ、けふ御拝戴ありて、御謝詞を伝奏衆へ伝らる、(日記)○十七日(中略)○十八日、(中略) 仙洞よりも関東地震の事聞召て、内侍所千度の御神楽、御供米進らせらるゝにより、御謝詞を伝奏衆につたへたまふ、(中略)(日記)○廿日(中略)○二十九日、(中略)さりし十一月大地震の後、このごろにいたり、毎日数十度の地震ありて猶やまずとぞ、(日記、憲廟実録)(後略)
宝永元年(元禄十七年)
○正月朔日(中略)○八日、紅葉山 厳有院殿霊廟に、土屋相模守政直代参す、旧冬の地震にて 霊廟御修理あれば御詣なし、(日記)○廿二日、上杉民部大輔吉憲郭辺修築の人夫出すべしと命ぜらる、(日記)(中略)○廿五日、(中略)小姓組角南主馬国通、書院番京極主計高久破損所の修理奉行にくはへらる、(日記)○二十六日(中略)
○二月朔日(中略)○五日、去年大地震のとき、禁裏、 仙洞、 内侍所にて御祈ありし御謝使を立らる、高家横瀬駿河守貞顕賜はり暇たまふ、 内に〓紗五十巻、 院に紗綾三十巻、各肴そへて進らせらる、 女院も所々にて御祈ありしをもて、羽二重廿疋、箱肴まいらせ給ふ、(日記)○七日、昌平坂大成殿、去年の震にあひしをもて、御再造の事仰出され、伊達遠江守宗贇人夫出すべしと命ぜらる、(年録)◎この月令せらるゝは、去冬火災により、諸商物并に工人、傭夫、牛車、大八車の賃銭、其他の品まで騰貴せしむべからざる旨令せられしに、其後地震又火災もありしゆへにや、今に諸物たときよしきこゆ、いとひが事なり、尤も時にしたがひいさゝかの高低はあるべけれど、急用の品と見かけて、価たとくなす事、向後かたくなすべからずとなり、(大成令)
○三月朔日(中略)○五日、去年地震御祈つかふまつりし寺社に賞行はる、日光門跡公弁法親王には高家大沢越中守基躬御使し、銀三百枚贈り給ふ、山王に銀百枚、鶴岡八幡宮、箱根伊豆両権現、神田、鹿島、香取、富士、三島明神は五十枚づゝなり、また伊勢両大神宮は米百石づゝ、祭主藤波二位景忠金三枚、大宮司大中臣 一枚、春木大夫、山本大夫六枚づゝ、石清水、下賀茂は百石づゝ、貴布祢は五十石、松尾、平野、稲荷、春日、住吉、日吉、吉田、祇園、北野、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、仁和寺、東寺、広隆寺、鞍馬、愛宕、多武峰、清水寺は百石づゝ、醍醐三宝院門跡高賢は五十石、院家釈迦院有雅、報恩院寛順、理性院尭観、無量寿院全海へは共に百石施行せらる、護持院隆光、覚王院最純、護国寺快意銀百枚づゝ、進休庵 は五十枚給ふ、(日記)○三十日この十三日京にて改元ありて、元禄十七年をあらため、宝永元年と称せらるゝ旨仰出さる(日記)◎此月令せらるゝは、去冬の地震により訛言宣伝せし事、さきにも市井へ令せられしに今に猶やまず、頃日謡曲、狂歌などにつくり、流布するよし聞ゆ、いとひが事なり、今よりのち名主、家主心を用ひ、さるものあらばすみやかに捕へて、直月の庁にうたへ出べし、かくし置て、他よりあらはれなば、町役人等まで咎らるべしとなり(大成令)
◎四月朔日(中略)○十日(中略)この夜より連夜西方より東方をさして白気立たり(寺伝、文露叢、天享東鑑)○十一日(中略)○十三日鶴姫君御大病と聞えしかば、群臣まうのぼり、老臣に謁し御けしき伺ふ、しかるに昨夜うせ給ふにより、音楽・営築を停廃あり、(中略)(日記)○十四日群臣まうのぼり、宰臣に謁し御けしき伺ふ、営築は明日よりゆるされ、音楽はなをとゞめらる(中略)(日記)
◎五月朔日(中略)○十四日(中略)水野監物忠之に二丸御修理の人夫出すべき旨命ぜらる(日記)○十五日(中略)戸沢上総介正誠、加藤遠江守泰恒、稲葉能登守知通は時服十づゝ給はる、石塁修理人夫出したるによれり、(中略)(日記)○十六日吉川勝之助広達、石塁修理のとき人夫出したるにより、時服六給ふ、梶門けふ発輿あり(日記)○十七日(中略)○十八日松平大膳大夫吉広、立花飛騨守鑑任、戸沢上総介正誠、加藤遠江守泰恒、稲葉能登守知通が家人、石塁修築の事に預りし輩に時服、羽織、銀給ふ事差あり、松平美濃守吉保家人、仙波 御宮修理の事つかふまつりしにより、時服、羽織を下さる(日記)○十九日(中略)相模の雨降山不動堂、去年の地震に傾壊せしかば、搆造料とて金二千両、榑木五千挺給はる(日記、文露叢)○廿日(中略)○廿一日吉川勝之助広達家人、石塁の事つとめし輩に銀を給ふ(日記)○廿三日(中略)○廿九日松平周防守康官、有馬大吉寿純、永井日向守直達、松平采女正定基、小出伊勢守英利、酒井靭負佐忠囿、内藤能登守義孝ともに城辺石塁修築の助役を命ぜられ、戸田能登守忠真は護持院修理の助役を仰付らる(中略)(日記、藩翰譜続編)
○六月朔日(中略)○十八日小姓組稲生七郎右衛門正盛、服部久右衛門常方、根来平左衛門長安、仁賀保内記誠方、書院番長谷川半四郎重尚、浅倉外記豊寿城辺石塁修築の奉行にあてらる(日記)○十九日(中略)○三十日(中略)この正月より五月半まで、府内折々地震絶ず、また去年より信州浅間山焼て、この正月より大にやけ、三月までやまず、地ふるひ砂ふる、牧野周防守康重が所領塩野村へ、焼石ふる事数しらずとぞ聞えし(日記、憲廟実録、天享東鑑)(中略)
七月朔日(中略)右衛門督吉泰、丹羽左京大夫秀延、城辺石塁の助役はてしにより、吉泰は時服三十、秀延は二十給ふ(中略)(日記)○二日(中略)○八日(中略)此頃諸国洪水あり、又府内日々地震やまず、夜々怪物天を飛行するよし妖言もあればとて、護持、護国、進休、大護、其他四ケ寺に祈祷を行はしめらる(日記、寺伝)○十日(中略)○十九日内藤駿河守清枚二丸石塁修築の助役を命ぜらる(日記)○廿日(中略)
○十月廿日(中略この日各所営築はてしに、傭夫等郷里へ帰りかぬるものもありと聞ゆ、もしさる者あらば、うたへ出べきむねを令せらるゝ事、元禄十二年八月八日の令に同じ(日記)(中略)
○十一月朔日拝賀例のごとし、松平兵部大輔吉品、酒井靭負佐忠囿、戸田能登守忠真、城塁修築成功により、助役を褒せられて、兵部大輔吉品は時服三十、靭負佐忠囿は二十、能登守忠真は十給ふ(中略)(日記)○廿六日二丸修理成功により、護持院大僧正安鎮の修法す、よて僧正に銀百枚、二種一荷給ひ、衆僧に三十枚給ふ(中略)(日記)○廿七日(中略)○廿八日(中略)城塁修業成功の賞行はる、助役せし水野監物忠之、内藤駿河守清枚時服十づゝ、作事奉行松平安房守乗邦、大島肥前守義也、普請奉行甲斐荘喜左衛門正永、水野権十郎忠順は金五枚、時服三、羽織一づゝ、小普請奉行布施長門守正房、間宮播磨守信明に金五枚、時服二、羽織一づゝ、両番よりかりの奉行せし輩十八人に金三枚、時服三づゝ、小普請方以下の属吏に時服、金銀給ふ事差あり(中略)(日記、文露叢)
○十二月朔日(中略)○廿六日(中略)今朝地震せしかば、家門使もて 両御所の御けしきうかゞはる
(後略)