(前略)
一、渋川助左衛門は、碁打にて、安井算哲といひし也。貞享改暦被仰付て、天文者に被召出。それゆへ碁打の時の引付にて、寺社奉行の支配なり。碁打の時、北斗の先といふて、盤の中間の星へ石をおきて、是を工風してけり。妙手にてありしとなり。しかれども道策、本因坊には及ばざりしといふ。夜々天文を学ぶに、京の大仏の二階に登りて、星を伺ふ事三年也。心用出情のことなりと云。星を見習ふ者のいふ、常人の星へさすには、あれかこれかとおもふに、助左衛門の指すには、直にこなたにて見付けり、達人の妙也と。
一、癸未十一月廿三日大地震の時、助左衛門御城へ訴へけるは、今夜大雷か大地震にて可有御座、御さわぎ不被遊と言上仕るよしを申上げると也。たしか成見よふなり。
一、右の夜地震の時、越前家登城の時は、皆鉄鉢をかぶりて御供せしとなり。
(後略)