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項目 内容
ID S00001313
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔祐之地震道記〕
本文
十一月廿一日 江戸の邸館を発して、日暮る程に、戸塚の駅にやとりとりぬ。、亭主を十右衛、門といふ、。丑半刻はかり、大地震、戸障子、小壁へた/\と崩れかゝる。各起あかるにかなわす、座敷を這もこよふ。たま/\立あからんとすれは、足をもためす、横に倒る。光行、祐之、頽かゝりたる戸障子を踏やふりて、庭え飛くたる。庭の間、弐間四方の所に、築山あり。後は山也。山のうちに、小塀を構へたり。退へき道もなし。山も崩れ落て、危く見えたり。光行庭をはしりまはりて、南の方の塀の穴戸より、隣家の裏へにけ退きたれは、はや其隣の家も顛倒せり。裏に小屋あり。是も倒れたり。其家と、小屋との間、弐間計の空地有。此所にうつくまり居る。此間に、伊賀守、荷物をそこ/\と沙汰して、庭へはこひ出させたり。油火も悉ゆりこほして、闇の中に荷物を、そこよこゝよとさくりあるき、さはきあへる体、たとへていはんかたなし。
やう/\と火を燧出し、硫黄をもてともして後、いさゝか人心もつきぬと思ひたれは、駅の南方に、火事出来るを見つけて、出火近辺のよし、声を揚しかは、おの/\荷物を大事として、又騒きあへり。光行、祐之、此所より奔出むとしたりけれと、人家たふれて、通路かなひかたければ、もとの穴戸より家へ帰りて、海道へかけ出る。
此時、猶地震やます、時に駕輿の者二人来る。壱人を案内者として、海道の北方へ走出んとしたりけれは、はや左右の家顛倒して、道を塞く。その崩れたる家の屋ねの上を、素足にてあゆむ。大地も裂破れて、溝洫のことく泥水湧出る。
やう/\と、吉田橋といふ所の、鎌倉道の辺に、光行、祐之やすらふ。、此所に寺あり、妙性寺と云。見るかうちに、此寺顛倒して、住持の坊主、圧て死す。後に此寺のうしろの畠に居たる時、苦痛の声たえかたく聞ゆ。辰の刻に及ひて、苦楚の声聞えす。されとも人の来りてたすけいたはる体も見えす。あはれはかなき事也。、此間地震須叟もやまず。始大地震の時より東の方の空に電光あり、夜明まてその光やむことなし。かゝる程に、荷物共に手に/\持はこひ来れり。伊賀守も、一個背負て来れり。、これみな海道ふさきたる屋根の上、を、荷物もちて通ひ来れる也。、上下拾五人の者共、壱人も小疵も被すして遁れ出たる事、各悦ひあへり。
是より、鎌倉道を東の方へ行むと出たるに、此道に土橋あり。橋も崩れ落て、通路かなひかたし。とやせんかくやといふに、爰にひろき麦畠のありけるへ、各おり居て息をつき、荷物をつみ置り。此間地震猶やまず。、され共人の倒れまろふ、程はなかりき。、
土堤の諸木震動して、倒れむ事も危しとて、また畠の真中へ荷物を移し運ひ、光行、祐之は、駕輿に入て居る。伊賀守なとは、荷物の際にうつくまり居る。時に暁の霜は雪のことく置けり。されとも、寒冽の気、肌に徹れるをおほへたる者はなかりき。さて此所より見めくらせは、山をへたてゝ、西の方、北の方、南の方、三方に火事の煙おひたゝしくみゆ。此間夜いまた明す。地震もやます。夜明かたに、戸塚の火事も消滅す。曙にしたかひて、三方の煙の色もうすらきぬ。 廿三日 夜やう/\明はなれて、使を亭主十右衛門かもとへ遺す。宿中の火事静りぬれは、地震顛倒せさる家あらは用意すへし、その家へ立越へきよし申やりぬ。また問屋かもとへも、道中筋の障なく、往来の者もあらは、早速告知すへし、しはらく此駅に滞留すへきよし申やりぬ。使かへりて云。亭主もいつちやら逃散て相逢す、問屋は家つふれて死たるよし、そのあたりの者いひたりとて、むなしく帰ぬ。宿中の人家悉顛倒して、死人もおほく有。其中に十右衛門か家は、顛倒もせさるよしなり。さるゆへに、壱人もあやまちなくまぬかれ出、荷物も紛失せさる事、人力の及ふ所にあらすと、各悦ひあへり。
巳刻計に、十右衛門畠中へ来語云。十右衛門家のむかひ側に、妹婿あり。家潰て、女房、娘、下部以上五人、おしに打れて死たりとそ。問屋も家潰て、誰有てか宿中の者を取沙汰する人もなきよし、申て帰りぬ。
人を駅家へ遣し、帰りて語けるは、町の山方の家にて、哀いたはしき事を見たりし。家たふれて、鴨居にて首を押へられたる者あり。苦しけなる息をつきて、顔をもたけ/\したり。其あたりに助けんとする者もなかりしか、帰るさに見たりけれは、もはや気を絶ぬとそ。其外、親子四五人同し枕に圧て、命をうしなふものもあり。一人二人は数もしらす。馬も四疋をうちひさかれて、海道の側に仆れたるも有。目ももあてられぬ有様也。駅の西山の寺の前には、死人を斂て置きたる者、弐拾人計も有とかたりける。
巳半刻許に、上下の者一人町へ出て、黒米を少はかりもらひて来る。是を各食て息をつけり。菓子なとを取出して、いさゝか飢をたすかりぬ。
人を戸塚の駅中へ出し置て、上方、江戸飛脚往来も有やと尋しめしに、誰いふともなく、藤沢の方も、道/\の大木顛倒して通路なし。川崎よりこなた、宿々は家一軒もなく、通路は絶たりとそ。かゝる上は、幾日逗留すへきやうもしらす。しはらくなり共身を隠し、荷物を入置へき家もあらは借求めむとて、午刻許に、伊賀守は、下部を召れきて、駅中にもしやは倒れぬ家もあらんとて、求め行し。町より西の山上の寺へ到りて見けれは、六畳敷はかりの座敷ある寺院あり。その住持に逢て、借度よし所望したりけれは、住持請合てあるなり、さりなから、只今戸塚の地震に罹たる死骸五人、此座敷へいれて、葬礼をとりいとなむなり。日暮時分には仕廻ん間、その時分来られて、一宿せらるへしといへり。これ不浄の地なりとて、それより山の西の在郷へ立越て宿をもとめしに、壱宇も傾損せぬ家はなかりけり。せんかたなくて、未刻計に、伊賀守畠の中へ帰りぬ。
かくても、野外に一夜を明さむも、盗賊の愁なきにあらす。いかにもして、小屋なりとも借求めむとて、また伊賀守下部を召連て、東の山際の在郷へ到る。上蔵田村といふ所にて、百姓十兵衛といふ者、家倒れすして有けり。それを所望したりければ、亭主請合ぬ。されと名主か同心せねは叶かたきよしいひけり。名主は何所にあると尋しかは、此所より山をめくりて、八丁はかりあなたの、遣か谷といふ所に居けるよしいへり。伊賀守またこれよりかの遣か谷へ尋行て、しか/\のよしいひけれは、子細なき由領掌せり。申半刻はかりに、伊賀守畠の中へ帰り来りて、宿を借求めたるといひたりければ、各人心ちつきて、生きかへりたるこゝちせり。
これより田の径をつたひて、十五六町行。その道筋大に裂破れ、足を踏定す。光行、祐之徒跣して、駕輿には荷物を入て、おの/\それ/\に財布なとをかつき持て、日暮時分に、上蔵田村十兵衛といふものゝ宅に入ぬ。此宅八畳敷の古家有り。次に八畳敷斗の所に囲炉あり。戸障子も破てなし。さなから在郷の有様、見くるしき体なれ共、宮殿楼閣よりもたうとく覚て、各悦あへり。此間に地震も時々あれとも、今朝のことくにもあらす。され共、地はゆふ/\とゆるきて、やゝもすれは、驚く程の地震もあり。戌刻許に及ひて、夕飯を喫す。前夜戸塚にて夕喰の凌とり、人々食を求す。爰おゐて、各気力つきて、珍羞よりも猶賞するに堪たり。
此所の百姓来語けるは、今日申の刻許に、長崎番衆石尾阿波守、早駕輿に乗て江戸へ帰らる。下部壱人も相随すとそ。戸塚前夜の火事は、家崩倒るゝと火出ぬ。其家に母親我子を抱て寝なから焼死ぬ。隣家類焼、焼死する者四五人あり。馬も壱疋焼死たり。類火の家三宇以上四軒、小屋ともに八九軒焼たりとそ。
夜に入て地震やむ事なし。前夜とおなしく、東の方の空に電光あり。夜深くいなひかりすこしうすらきぬ。家中の灯火は消して、荷物を入置。光行、祐之は、庭の間に駕輿を置、その内に入て夜を明す。伊賀守、下々なとは、庭に荒筵を敷て、その上に乗物のとゆ、かつはなとを引ひろけて、寝もやらすして夜を明し侍る。暁かたに及て、霜ふり、夜寒たえかたしとて、粥なとを調て、各寒気を凌く。戸塚駅中は、動揺の声、火用心の触物さわかしく聞ゆ。夜八つ時分程に、西山のあなたに火事の煙みゆ。竹の焼る音おひたゝしく聞ゆ。夜明はなれて、煙気漸々薄く見ゆる。いつれの所とはしらねと、いかさま広在郷ならんと覚えたり。
夜中、戸塚の西山の上に、松明の影やますみゆ。村人に尋しかは、あれは駅の死人を、山の上なる寺へ葬るとて、もてはこふなり。家におしうたれて、命を失ふ者何人ともいまたしれす。親は子を失ひ、子は親におくれ、兄弟主従、いつれをいつれともわかすまよひさけひ、家の下に圧れたる死骸は、掘出す事かなわすして、見つくるにしたかひて斂葬するとそ。或は疵傷れて、腰を打ぬき、手足を打おり、面をやふりたるもの、幾人といふ数もしらす。とひとふらふ人もなく、看抱する人もなく、目もあてられぬ有さまなり。夜中地震やまさる故に、死残りたる女わらんへは、畠の内へ出、山そはに仮屋を作て夜を明す。 廿四日 辰刻許、旅宿の前の海道を、飛脚一人通る。よひまねきて、いつこよりいつかたへ行と問たりけれは、鎌倉の法界寺より、江戸の植野へ、地震注進の飛脚也といふ。さあらはとて、書状壱封をたのみて、江戸に送りぬ。又、江戸の方より、上方へ飛脚の者通ると聞つけて、是もことつてゝ、書状を故国へ送れり。
江戸筋地震、おひたゝしく沙汰有たれと、実説知かたきゆへに、注し付す。小田原も大地震にて、宿中の家顛倒せり。その折ふし、城内より火出て、駅家焼亡のよし、口々風聞有。大磯よりこなたの駅程も、悉顛倒して、旅宿かなひかたきよし、とり/\沙汰あり。
今日、戸塚にて長崎番衆の者の死骸をさかし出したるに、拾五六人ありとそ。乗馬も二疋圧て死す。駅中死傷の者百人余あり。その内に、往来の旅人も有とそ。申刻許に、阿波守家来、江戸に帰るとそ。
蔵田村も、上中下の三村あり。家数六七十軒程あり。其内に四拾軒余顛倒せり。死人は壱人もなきよし、村人語り侍る。
今日、使を戸塚駅に差遣して、上方道中筋の事を尋問せしに、昨日三島より出たると云旅人に逢て尋けれは、三島も地震したりつれ共、家の戸障子なと震倒したる計にて、人家崩れたる所なし。箱根峠の駅は顛倒して、関所の近所に残たる茶店二三宇有。関所は倒れす。畑村は人家たふれたり。坂の下方は、二子山の巌石崩れ落て、道を塞き、徒行の者、岩のはさまを伝ひ通ふ。荷物は往来しかたし。馬は思ひもよらす。小田原は駅中焼亡せり。それより大磯、平塚、藤沢の駅も、人家頽れて、駅路の便なしとそ。今日日の中、地震時々やます。申の下刻雨降、終夜小雨降。夜中も地震時々やます。
是日伊賀守、鎌倉一見のために罷越て、申刻許に帰語云。これより鎌倉まての在郷、悉家つふれて見ゆ。貝から坂の大切通は、山崩て道塞る。木の根なとにとりつきて越たり。鎌倉の在所も、人家悉顛倒せり。円覚寺の門前の在家弐百宇はかりもあるとみえたり。悉たふれたり。谷々に寺家数多有。山崩れて、通路絶たり。白黒の池の輪橋も、崩損てかよひかたし。間道を経て、円覚寺に至る。本堂、拝堂の石梵裂破れて、泥水湧出し、仏壇も頽れて、本尊堕て泥にまふれてみゆ。その外、堂塔、方丈、寺家等、山崩れかゝりて、その形勢たとへんかたなし。
建長寺の門の両傍の台塀、石垣悉くつれ、門は傾て残れり。門内に堂一宇あり。山頽れて埋みたり。拝堂は顛倒せねとも、仏壇はくつれて、本尊は下へ落たり。方丈は傾損したれとも、顛倒せす。門と石垣とは、悉崩れたり。方丈の庭に仮屋を建て、幕をひき、坊主共集居れり。その外、寺家二三宇も、崩れたる山に埋てみゆ。
鶴岡へまいる道に、小坂あり。左右共に崩れて、往来かなひかたし。木根に取付て、かちのほる。此間に家有。八幡北の入口の黒門顛倒せり。八幡宮の本社は、はめの板くつろきてみゆ。さのみ傾損せす。神前の石の階石の玉垣は、悉崩頽る。中門の前の石灯篭、鉄灯篭悉たふれたり。その前の石壇、幅五間許に、長さ廿間程あり。算を乱したることくに崩れ損したり。その両腋に、拾間程にみゆる石垣有。其形もなくつふれたり。其外舎屋破損、石の輪橋崩て、通路絶たり。由井の浜に至るまてに、石の鳥居三基有。弐基は崩れて、壱基は落かゝりてあり。雪下の町は、少し頽たり。由井の浜の辺は、津浪うちよせて、通路かなひかたき由、村人語けるゆへに、行到らすとそ。 廿五日 夜いまた明やらぬ頃に、江戸より両使来臨、御対面、其悦たとへん方なし。江戸表御別条なきよし、安堵の思をなせり。午刻許に、使を藤沢の駅に差遣して、上方より通路の事を尋聞しむるに、沼津より出たるといふ旅人に逢て尋たりとて、沼津は地震きひしき様に覚えたれとも、さのみ人家の顛倒する事なし。箱根峠は、駅中家なし。関所は損せす。下り坂は、二子山崩れ落て、磐石道をふさく。此所は、馬、荷物なとは通わす。荷物は、人夫背負て、山の崩れのそは道、岩のはさまをつたひて往来する。畑村は損して、湯本村は、さのみ損せす。是によりて、旅客湯本に泊るとそ。小田原は、駅家一宇もなし。大磯は、駅家四五軒残れり。旅人こゝにやとりを取とそ。
今日日の中、地時々震ふ。夜中八九度震動せり。明日、此地発駕すへしとて、旅粧それ/\ととりいとなむ。駅馬は、戸塚より上蔵田村の馬を差先り。戌刻許に、村人来云、只今江戸の方より、酔狂人のことくにして、刀を抜、持物をむさほり取者有て、戸塚のあなた吉田と云村はつれ迄来れるとて、駅中騒動せり。荷物等用心して、夜番を差置へきかとて、鉄柱の鎖を持来て借たり。左様の強盗有へしとも思はね共、かゝる〓劇の折柄、殊に辺土に旅人有と知らは、不意の事有へきも計かたしとて、夜番をすへて守らしめたり。亭主は家の入口に、松の木をもて垣を結けり。今夜、戸塚宿中夜番の声、終夜物さはかしく聞ゆ。 廿六日 夜明て上蔵田村を発す。駅を過行程に、海道の両方の松、いくら共なく倒れり。一両日以前、村人伐開て道を明たりと見えたり。其中に、一抱斗の松の木、西より東へ倒れて、左右の土堤にもたれ懸れり。其下を、旅人腰を折て来往す。駄荷は馬よりおろして、馬を畠中より通して、又駄荷をおふせたり。藤沢の駅に至る道々、原宿杯も、家あまた倒れて見えたり。
藤沢の駅に、さのみ人家顛倒の体もみへねとも、悉傾損したり。下り方と、上り方との駅のはつれは、戸塚の人家と等くみゆ。此駅にても、三拾人余圧れて死すとそ。、此内に飛脚の者、壱人有りとそ。、駅を出はなれて、四谷に行。此所も人家半は顛倒せり。こわたと云所は、人家数百軒有、其内に八九軒たほれて、是より外は傾損せり。、柱を地中へ掘込て建てたる家、は、顛倒せすしてみえたり。、
命を失ふ者四人有と、村人語侍る。こわたよりなんがうへ至る。道砂地なり。その間の人家みな崩れ頽たり。なんかうも、人家半過て倒れり。此所にて暫憩ひけるに、石尾阿波守宿取の家来、廿一日江戸を発して、廿二日小田原に泊り、家に圧打れたりとて、半生半死の体に成て、竹輿にたすけられて、江戸に帰りぬ。
馬入の渡船も、廿二日の夜潮満て、舟共沖へ浪にとられたりとて、廿三日の夕方は、舟一艘にて旅客を渡しけるとそ。今日は船三艘有て、旅人を渡す。潮盈たりとて、半里計川上へまわりて舟に乗也。馬入の在所も、残りたるいゑもなく、みな頽れてみへ渡る。やわた町の松林は、木の倒れたる体もみえさりしか、町屋は馬入村とおなし。平塚駅も残りたる人家なし。駅の人語けるは、此所に十四歳になる男子、家におされたるを、父母あはてまとひて、其子の両の手を取て引出さんとしたりけれは、左右の腕を引抜たり。父母の哀悼悲歎、たとへん方もなしとそ。聞にたに堪かたき事也。此駅を出はなて、花水橋を渡。橋は傾損せす。橋つめの地形大に裂破て、溝洫のことし。凡海道の大地裂破たる所に、悉泥水湧出せり。海道の右方の山々も、崩れたる体あまた所みえたり。木なとも多倒れたり。
申刻に、大磯の駅に泊る。此駅舎も過半顛倒傾損せり。されと此家斗そ頽すして有けり。、此駅に倒ぬ舎四、五宇有とそ。、亭主出て語けるは、地震の後日、海の潮虚る事二丁余有。是によりて、津浪打よするとて、宿中騒驚して、男女共山に仮屋を造りて遁れ出て日を過す。昨日の夕方、やう/\と家に帰る者も有。されと女わらんへは、今朝まて山に居れり。今日は海の面も風静に成て、人心もつきぬとそ。廿二日の夜地震の時、高浪来て、沖の漁舟多破損したり。こゝに大磯の浦に、五百石積の舟と、三百石つみの舟と、二艘かゝれり。高浪来りて、二艘の舟を引汐に沖中へ漂して、又打よする浪に、三百石つみの舟は、磯へ二丁斗打上たり。五百石つみの舟は、磯際にて船人碇をおろして留たり。船も人も、何の難なくまぬかれて、翌朝廿三日、二艘の船、伊豆の島へ漕帰りぬとそ。
此駅にても、家に圧打れたる者、五十人余ある中にも、哀なるは、此郵亭のむかひ側の家に、祖父孫を抱て寝なから、同し枕にして死す。又親子三人共に死たり。哀はかなき事共なり。申の刻より日暮まてに、地震事二度、夜に入て地震時々有、戌刻斗に及て、地震よほとつよく聞えたり。宿中大に騒動せり。旅亭の隣に、此所の代官何某居たりけるか、財宝等を裏の畠へ移しはこひ、俄に仮屋を造り、屏風を引まわし、其内へ入て、夜を明し侍る。亭主の男女も、みな畠の中へ遁出し、亭中に人なし。駅中火用心の触声、終夜たへす。かゝる時節は、盗賊もありとて、駅中物〓、只今にも有やうにのゝめきあひて、さわきあへり。夜明る頃ほひに、駅中に物音も少静りぬ。戌剋より暁方迄震ふ事七八度あり。 廿七日 夜あけて大磯を出、駅の南のはつれに、切通と云所に、地蔵堂有。山崩て堂を埋たり。坊主二人埋れ、命を失ふとそ。鐘も落て、大道の側に横れり。相模の国府の人家は、顛倒せる家わつかにみゆ。梅沢と云所は、茶店さのみ傾損の体もみえず、わつかに六七軒程つふれたり。梅沢を過行程に、山崩て大木顛倒し、海道を塞く。村人是を伐て、道を開たり。地の裂破たる所々は、松の枝を埋たり。横切橋は、傾損せり。されと往来の旅人通り、馬は通はす。村人あまた集りて、橋つめに馬道を作て、川の中を馬を渡したり。
是より左の方の山崩たる所おほく、右の方も海道さけ落て、谷へ頽たり。はね尾村と云所、人家悉倒、焼亡の跡一軒有。国府津、府中共い、ふなり。、人家柱の立たる軒はみえす。死人も五六十人斗有。未何人共不知由、村人かたり侍る。、此海道より外の在郷も、人家多顛倒して出火の所共有。其所の人は、多死たりと、村人語侍る。、山王村といふ所は、山王の社有。其社は顛倒せす。人家は悉倒て死地に就く者三十人許有とそ。酒匂川の在所も、家の残りたる体なし。人死する者五六十人はかり有。馬も四拾疋計死たり。人馬共に何程と云事、末たしかに不知とそ。川はたに、焼失の跡みえたり。村人語けるは、家倒るといなや、火出ぬ。家人九人おしに打れて、内にて助よと呼さけひけれとも、誰有て寄ちかつく者もなし、九人の内二人は、火の中よりはひ出て命をたすかり、七人はおしに打れなから焼死ぬ。類焼一宇有とそ。
酒匂川の土橋崩落て、徒渉の人夫をやとひて、川を越たり。是より小田原にさしかゝる。駅の入口の番所顛倒せり。城も焼亡、宿中類焼せる焼亡の跡、墓も残らすみゆ。されと人馬の骸骨は、所々にみち/\てみゆ。目もあてられぬ有様也。臭気風にみちて、旅客鼻を擁して過ぬ。駅の中程、せうけん明神の社有。社も顛倒せす。鳥居、朱の瑞籬、類焼せすして残れり。駅家も地を払焼亡したりしに、此社残御座事、神威のいちしるしき事、仰ても恐たふとむへし。また駅の上り方の山上に、天神の社有。これも傾損せすしてみゆ。駅の南北の入口は類焼せされとも、一つとして柱の立たる家はなし。
駅の人に尋ねたりしかは、宿中男女千六百人程命を失ふ。往還の旅人は数もしらす。たま/\家を逃出たる者は、海辺に逃迷ひて潮にとられたる、それらの人数いかほど有ともしらす。家頽て篭の中の鳥のことく、出ん事もかなはす、声を上て呼さけへとも、たすくる者もなく、其内に火焔しきりに及ひて、焼死たり。駅馬も残らす斃れり。、その内に、廿二日の夜半時分程に三度、荷をおほせて行たる馬二疋、途中、にて地震にあひたりしか、不思議に馬も人も命をまぬかれたりとそ。、
其外商人の物、飛脚の輩、此宿に泊たる者、生残たるは、十に一二なりとそ。駅中海道の中は水道也。其水道裂破て、足を立るにさたかならす。焼亡の折節、水道の上は、水路溢て、下は水不通、火を消滅するに、便を失へりとそ。小田原大地震は、七十一年以前に有と古老語り侍る。小田原合戦は、百弐拾年以前の正月十七日の事也。其後築たる城也しか、此時焦土と成ぬ。浅ましき事也。駅の人語侍る。
小田原を出はなれて、風祭と山崎と云所を経て、湯本村に到れる道すから、山崩れて、大き成岩石海道の間に横り、或は山の木倒れて、道を立塞く。道幅わつかに間半計有難路を、人馬往来する所々有。路かわの石垣は、算を乱したるかことし。足の立所さたかならす。申の刻斗に、湯本村に着ぬ。此村は、人家倒て、わつかに見えたり。亭主語けるは、前夜迄地震猶やます、風まつりより此村に至る迄は、家中に人の夜寝る者なし。うしろの山に登りて夜を明しけるとそ。今宵地震七八度。此村も、夜とも〓劇にして、いもねられす。 廿八日 夜明て湯本を七八丁斗にゆく。山崩て、巌石通路を塞く。駕輿も越かたし。輿より降て徒跣す。葛葉木の根に取つきてかひのほる。此所谷底へは一丁程にも見えて、壁を築立たる様なり。輿は諸縄をはえて引挙る也。荷物は背あふて、箱根の駅に到る。是より坂道にさしかゝる。二子山の磐石頽落て、道を塞く。此磐石五六百人斗しても引動しかたき程のも有り。或二三百人、或は五拾人、六拾人斗のも有。其磐石いくらともなく道に立塞り、おゝひ重、旅行の人、其はさまを徒行する。是皆二子の山の峰より崩落たる物也。されと磐石の崩落たる跡、山にみえす。瓦礫の飛かことくして、高根より落たるとみえたり。木口二斗の松の木の、地際より二尺斗上を、磐石落かゝりて打折る。其木すゑは道に横れり。是峰より石の落たる勢にてつき折たる物也。其麓を往還する旅人、肝魂を消すといふ事なし。
畑村は六七軒倒てみゆ。村人語けるは、死人四人有。其内二人は往来の者也。地震の時家を遁出て、山より崩掛る岩石にうたれて死たるとそ。箱根の関所は、傾損の体なし。関所の辺の家は、七八宇残たり。峠は宿悉顛倒したり。此駅にても、死地に就く者三十人余有。馬も三拾疋計斃たりとそ。峠より上り方の在郷は、家の頽れたる体もなく、山も崩す。
是より三島駅迄は、地震の跡聊みえす。三島の駅の人語けるは、土肥、伊藤、うさみ、あたみは、廿二日の夜、津浪にて人家多没したり。あたみと云所は、人家五百軒斗有所也。わつかに拾軒斗残りたるとそ。あたみの名主何某、下部と弐人、不思議に命を免たり。されと潮を呑て苦痛したりとそ。三島へ医師を呼むかへにおこせり。医師早船に乗ていそきけるか、いまた行いたらぬ先に、彼名主死して、医はむなしく、昨夕三島に帰りぬとそ。
又沼津の駅人語けるは、うさみと云所へ、沼津の者弐人行て、廿二日の夜津波に遭たり。津浪打よすると、此二人の者、家の柱にいたきつきて居たりけるが、しはらく有て、夢の覚たる心地して、目を開見たりけれは、うさみの在郷と覚えたる所は、家一軒もなく、浪に取られたり。此二人の者の居たる家は、始の家の跡よりも三丁程山の上に有。是は始波の引さまに、家を沖へ引とりて、また波の打よする時に、山の上迄打上たる物なり。此うさみの在所も、山の上に建たる家三四間有。夫れは残りたりとそ。その残たる家へたよりて、二人の者日数を過し、船を待えて、二人なから、一昨日沼津に帰たり。されと一人は、潮を多呑込て、昨夜死たりとそ。
申の半刻計に、沼津の駅にとまる。此所も地震したりき。前夜も一度地震ふとそ。此日は大磯の潮虚て、津浪打寄ると云て、駅の人みな家を出て、山方に仮屋を作り、財宝を持はこひて、廿三日より昨日まて、さはきあひて、人心もなく、物すこきよし、事主物語したり。 廿九日 夜をこめて沼津を出ぬ。申下刻、江尻の駅に泊る。亥刻斗に及ひて大風吹、夜半過る頃、風すこし静まる。 十二月朔日 夜明やらぬに江尻を出。駅の人云けるは、前夜江戸大火事とみえて、夜中火の気夥敷みえたりとそ。夕かた大堰川を渡る。此時寒風はけしう吹。今夜は金谷の駅に泊る。今日経過する駅路にして、前夜火事のさたとり/\有き。実説さたかにしらす。 二日 浜松の駅に泊る。駅の人語けるは、此城主米穀を積て、江戸へまはす舟十二艘、廿二日の夜、荒井の沖にて破損したり。たま/\損せさる船二三艘有けれとも、潮にひたして、用にたちかたし。米一万石余程失墜したりとそ。又荒井の沖に、江戸大まわしの舟廿四艘有。是も二艘残て、其余は損したりとそ。 三日 夜いまた明やらぬに、浜松を出て、六ツ半時分、荒井の舟に乗。船頭語けるは、廿九日の暮方より、江戸の方に火事見ゆる。明る朔日の日の出迄火気みえしか、其後は朝暉におされてみへす。昨夕江戸の飛脚通りつるか、大火事の由語りけるとそ。日暮に赤坂の駅にとまる。 四日 赤坂を出て、藤川の駅に到る。江戸よりの飛脚の語けるとて、大火事の沙汰有。廿九日の夕方より、明る朔日の四ツ時分まて焼たり、その飛脚は、一日の四時分江戸を発したるか、其時火未消滅せさりき。火は小石川より出て、本荘へ焼ぬけたりとそ。日暮て宮の駅に着ぬ。 五日 夜をこめて宮の駅を発して、佐夜より船を買て、午の半刻計に、桑名に着ぬ。 六日 坂の下の駅にとまる。今夜風はけしく吹。 七日 坂の下を出て、鈴鹿山をこゆる。夜ほの/\と明ぬ。雪降。是より水口の駅にいたるまて、雪吹前路をうしなふ。日暮て、草津に、駅にやとりぬ。 八日 夜ふかく草津をいてゝ、享午、賀茂に帰着ぬ。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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