(元禄十六年十一月)
一、同二十二日八ツ時 津浪東は君ケ浜より大池に水入る、君ケ浜田畑へ砂押掛け、麦も一円無之、山林の松の木七百本余根返り、又は折木にて池端松の木より二三尺程上へ浪上りたる様子にて藻かゝり居候、長崎浦にて荘右衛門納屋潰し、是れに依て其後願、四右衛門、藤右衛門、納屋場より北の方、納屋場上る、外川夷宮下にて喜兵衛納屋潰され候、手前納屋に居候善右衛門、伝次郎、三郎兵衛、仁兵衛等の納屋へ浪上げ潰し候、下町場より切通しまで浪上げ、田より砂押かけ、名洗与左衛門家流され、庵室の庭へ浪上げ候
永井飯岡より、海辺上総安房だん/\強く浪上げ、人多く死候由、又武州相模浦々へ浪上げ、是亦人多く死に候、此夜一天無雲、風は髯毛も不動、物静かにして月よく冴えたるに、大なる地震度々にて、辰巳の方より浪上る、大浪三つ惣て地震数知れず、月を経て不止、三つ目の浪二十三日の夜明けて上りたりと
一、同月 津浪にて方々損じ、船付崩れ候につき、村中並に浦方の者共と普請なす
一、同月 納屋場上け候につき、新納屋場願五十五人に別仰付けられ候、追而可考
一、元禄十七年二月二十四日 大地震にて殊に長く動き候間方々崩れ、津浪の時も斯様の地震は無之事
(後略)