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項目 内容
ID S00001156
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔月堂見聞集 巻之六(従正徳二年七月至同三年巳の極月)〕
本文
○正徳二辰七月、近衛家煕公摂政御辞退に付、九条輔実公へ宣下
(中略)
○四宿へ申渡覚
相州小田原宿
右小田原は大磯・箱根の馬継、道の程も遠く、殊に箱根の事、海道にて難所に付、人馬共相疲候上、先年大地震之時、人家大半焼失に及び、死傷の者も在レ之、以後当国砂降候節、田畑も荒はて、脇の郷村より人馬指出候事もかなはず候によりて、此節におゐて雇たて、臨時の入用等も在レ之、重て難義に及び候段、達上聞、自今以後、御救として、唯今迄年々被レ下候外に、年々米三百俵宛被レ下候
豆州三島宿
右三島宿は、箱根迄馬継之道の程も遠く、殊に海道之難所を経て人馬も疲れ、入用等も多く難義に及び候由、達上聞、自今以後、御救として、一ケ年に米三百俵づゝ被下候
信州松本宿
軽井沢宿
右両宿は碓氷峠の前後在レ之、中山道にて難所を上下して馬継も遠く、人馬共に相疲れ、入用多く難義に及び候由、達上聞、自今以後、御救として被レ下候、惣て中山道は東海道の半役たるを以て、一ケ年々米百五十俵宛被レ下候
十月七日
右之御書付於御城、大久保大隈守殿へ、御用番之秋元但馬守殿御申渡被レ成候由
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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