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項目 内容
ID S00000544
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1812/12/07
和暦 文化九年十一月四日
綱文 文化九年十一月四日(一八一二・一二・七)
書名 (高橋景保書簡 伊能忠敬宛 文化九年十二月十三日)
本文
[未校訂](前略)
一十一月四日昼八ツ半時比、関東大地震ニて候。老人江承候処、如此大震ハ覚不申候由、乍去当地ハ人家壊倒ハ稀ニて、只土蔵壁落、家作・建付損位之義、当役所抔別而無事、是亦御土蔵壁腰巻類落候迄ニて、其外御長屋向無別条、御城中ハ数ケ所損有之趣、就中甚しきハ神奈川・程ケ谷・川崎辺ニて候。右三駅ニて人家三百程倒、死亡ハ僅弐十人斗と承候。神奈川台丁海手掛ケ造りの茶や等ハ悉く倒レ候由、珍敷大震ニて候。箱根より西ハ至小震之由、佐原辺も軽キ様承り申候
一同夜も両度大震有之候得共、昼よりハ軽く有之候。其後日々小震有之候。此節平和ニ相成候。同廿一日夜新吉原西之方非人小屋〓出火、西北大風ニ而吉原一円・曰町・北馬道・聖天丁〓大川端迄焼払申候。当年中之大火ニ有之候。此節山谷或深川辺所吉原仮宅出来、世間物騒敷有之候
右時候御見廻旁早々如此御座候。木星小星之義、呉々も御丹精可被成候。年内余日無之、来陽めで度可申述候
恐惶謹言
十二月十三日         高橋作左衛門景保
伊能勘ケ由様
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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