(安政三年)
○十月七日
一、広大院様御法事ニ付、御機嫌為伺、御三家方より御菓子壱箱ヅヽ使者を以被差上之、於躑躅、謁大和守
一、今朝晴天之処、朝五ツ時大地震ニ而、天水桶之水をゆりこぼすなり
飯田町九段坂下、寄合
五千七百石 水野監物
右監物屋敷内、三棟之長屋普請有之、未ダ瓦廿五枚程ヅヽ積重ね有之処、右地震ニて家中男女子供逃出し候処、右瓦落て、廿三人程、余程の怪我致し候由
上野御成道山城屋又三郎裏店
瓦屋 久蔵
仕立屋新兵衛
右地震ニ付、喧嘩一件
是ハ、八月廿五日大嵐之朝、瓦屋久蔵上野坊中へ仕事ニ参り候処ニ、今日ハたゞならぬ雲合ニて、夜分は必内に居られぬ程の大変有べしと言咄しを承り、帰りて女房ニ申候ハ、今宵ハ大変可有之との事故、此こわれ家ニハ寝られまじ、其方ハ外へ泊りニ行べし、我ハ留守居可致、若事のなき時ハ悪敷候間、近所へ知らせず壱人りで行くべしと申付候処ニ、此女おしやべりニて、右一件を長屋中へ触ちらし候間、皆々肝を潰して、長屋内煙草入屋ハ平家故是へ集りて、酒を呑、蕎麦喰、夜を明し、右風難を逃れ候よし、然ル処、今朝の地震で長屋中肝を潰居候処ニ、又夜四ツ半時ニ震返し、大地震致候由、瓦や申候由ニて、風吹寒き夜に十二軒之長屋、馬具安一軒寝こかしニ致し、十一軒之者、原広小路へ葭簾張ニて野宿致し、漸々夜を明し帰り見ル処、瓦屋壱人ハ内ニぬくぬく寝て居候故、皆々立腹致候、中ニも仕立やハ無放者故、十日夜瓦屋近辺へ出候を、横町ニ待伏致、瓦ニて天窓を打割、大喧嘩ニ相成、十二日夜長屋中還り、中直り致し候
大風は当れとこなひ震返し
野宿の跡で落る瓦や
(後略)