(延宝五年十月)
○十五日拝賀例に同じ、(中略)、此九日、水府の各浦風涛のために頽破し、民家百八十九戸破損し、男女三十六人溺死、船五十三艘やぶれ、穀千四百俵流出せし注進あり(日記、御側日記、年録)(中略)◎此月上旬より上総の御料并に阿部伊予守正春、阿部美作守正武、植村土佐守忠朝并に御家人の采邑等にかゝりし各浦、村々、毎日地震、九日にいたり、潮をしあげ、民家頽破し、男女あまた死亡し、同日陸奥の田村右京亮建顕、内藤左京亮義泰、遠山主殿頭政亮、内藤右近大夫政親の所領も若干此害にかゝり、其夜、尾州も大潮をあげ、風涛の中より怪しき光物三飛いで、北西の方へ去たり、されど尾州にては、家屋人畜此災を免かれたるよし注進す(日記、年録、大成令、武家厳制録)、
(後略)