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項目 内容
ID S00000122
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1817/12/12
和暦 文化十四年十一月五日
綱文 一八一七年文化箱根地震(文化十四年十一月五日)
書名 〔雑事記 廿二〕
本文
地震之事
文化十四丁丑年、二条御番森川下総守組先残役花井惣九郎、水野遠江守組同断川崎六郎左衛門、役儀も済、休明十一月三日江戸出立、旅中より大坂江取手返、水野帯刀、小野朝右衛門、天野忠右衛門、新見忠右衛門と一ツに成り旅行、同五日箱根山中畑宿二而天忠右衛門、惣九郎、六郎左衛門三人ともに休、四半頃右之順に半丁ツヽ程隔り、九時頃二子山之腰樫木坂猿濘の辺にて、俄ニ大風のことく鳴動、人足も踏留かね、たじろきうろたへ、漸の事にて駕篭をおろし、何事かといふや否、大地震して、二子山の頂より白煙のことく立あかり、大盤石いく百となくまろひ落、中ふくの大石ともに打砕け、又はぬけ出、腰近きあたり程数多になり、土砂をさくり、石にあたりくたけちる勢ひ、煙のことく空中へ立、其響百千の雷の一度に落るか、此山唯今くたけさくるかと気も魂も身にそハす、セめてハ刀をもち死すへくと、草履はく間もなく、はたしにて出れハ、盤石空中を飛かことく、万仞の谷へ往還を飛越落る有様、天地もくつかへると、是をやいふへき所の者と覚しき木樵体のもの、早く大木を楯にとれと、是なん尤とハ思へとも、右ハ二子の峰天にそびへ、左は万仞の谷、道路大盤石にて畳みしことき急峻の坂道、進退窮り、目にさへきる所大木もなく、何といふあてもなく、よろほひなから、こけつまろひつ下の方へ半丁程行ハ、地震ハおさまりぬ、先再生の心持にてある所又候ゆり出し、程なくやみ、初の程にハなく暫く見合、漸々山々峰々静まり、旅行すれハ惣九郎ハ駕篭を置処、十四、五間前に五、六尺の大石一ツ止り、夫より道なかに四ツまて盤石とまり、急峻の難所十余町やう/\に登り、走り平(タイラ)といふへ出、休ぬかの道中の石いかゝ成しや、往来の妨になれり、扠走り平に茶店あり、其後は少しく凹なる所へ盤石幾つとなく落入る由、茶店のもの語りき、誠に危事たとふるに物なし、いかにして上下恙なかりしや、夢のさめたることく三島の駅に至り、開けハ又一段強き地震、沼津のあたりハ猶強く、其処にてハ三寸の地震といゝ、中年の者ハ覚へぬ事の由、駿河路・江尻・府中・阿辺ハ格別の事にもなく、外面なるもの知らさりし程の事、江都ハまづ強きといふ地震のよし、珍事ゆへ筆を費す
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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