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項目 内容
ID S00000121
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1817/12/12
和暦 文化十四年十一月五日
綱文 一八一七年文化箱根地震(文化十四年十一月五日)
書名 〔小山田与清 擁書楼日記〕
本文
(文化十四年十一月)
○五日晴、四つ時大地震、両度あり、
(中略)
○十五日晴、(中略)夜にいりて九つ時大地震
(中略)
○廿二日晴、午打さがるころ、富士・箱根の方にありて雷のごときひびきあり、出て望むに、西南の空かきくもりて、日のゆゑといふ事をしらず
(中略)
○廿八日雪四時に晴ぬ、春登法師、赤沢内蔵助まうでく、内蔵助語云、廿二日の震動の時、武蔵八王子近所の子安村、同大和田川原、日野の原の三所へ三尺計の石、空より落たり、他所にかたるが同くして、地中三尺計も打こミたり、大和田川原なるハ石、地へ落たれハ、くたけたりといへり、そのくたけを人のもて来て見セたりしに、焼石のさめ也き、といへり
(後略) 注、本史料、小山田与清の日記は「擁書楼日記」で知られる。第七巻から十二巻(文化十四年から文政元年)の日記の題箋は「擁書倉日記」となっていて、本史料は「擁書倉日記」であるが、「擁書楼日記」と表記した。早稲田大学図書館古典籍デジタルライブラリ—の画像によって校訂した。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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