「明和六己丑年三月
旧記録
増田村
林荘右衛門(印)」
(中略)
一、寅ノ七月十四日・十五日夜大地震ゆり、夫より廿四・五日之間少々宛ゆり申候、須走・坂下辺別而大破損、仙石原第見坂大破ニ付、南筋・中筋両組合ニ而道作り被 仰付、来卯ノ八月迄ニ出来致候、尤小田原より金拾両壱分扶持米代被下候、仙石原村も少々道作り申候、右大地震ニハ候へ共、御厨中人之損ジハ無之候、且又小田原御城内大破也
卯八月
一、竹之下橋大地震後かり橋ニかける也
(後略)
○注、本史料は増田村名主荘右衛門が覚書風に記した記録。御殿場市増田、林浩一郎家文書。