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項目 内容
ID J3300395
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔安政息災記〕○江戸水城文書22九州歴史資料館
本文
[未校訂](表紙)安政息災記
大江戸八百八町四里四方の外ニ余り新地代地つき地を加
へ而村之当今ハ五千六百廿五丁余ニ及べりこれを里数ニ積
レハ凡百五十八里三十弐丁余ありその□品万国之きかざ
る所也
今年地震ニ而損亡の土蔵ハ凡哭(ママ)各方一万五千八十七戸前
御籏本方廿五万千六百廿五御家人衆方五万二千四百廿八
寺院堂社共五千八百十八戸まへ町家類失之分共廿一万五
千七十通計凡五十万九千五百廿八かゝる大災の中ニ御城
内ハ勿論両御山御用屋堂御蔵向等一つの御損亡なきハ万
人仰き悦ひ奉る所なり
御仁徳之程恐れおそれみ仰きつ謝奉るべし
安政息災記
夫天地の変動ハ陰陽の剛柔によつて生する処なり或ハ雲
を起して雨をふらし風を生して雷を発す是ミな人身ニ疾
病を生するか如し嗚呼天成る哉命なる哉時に安政二年卯
の十月二日夜の四ツ時俄に大地震動かし大地震ゆり出し
鉄城の如き土蔵人家悉く片時にゆり崩しその死亡乃人あ
けてかそへかたし哀とはかなき事共也先北ハ千住宿大に
ゆりくつれ小つか原ちしんのうへ出火して殊ニは焼失す
新吉原ハ大半ゆり崩れ少しハ残るといへとも京丁一丁目
同二丁めゟ出火し又角丁あけや丁江戸丁一丁目二丁めと
も所々ゟやけ出し殊ニは焼失す遊女その外死亡のもの数
しれす尤江戸丁一丁め角三けん殊ニ京丁一丁め片角六七
けん残る五十けん西にハ半ふん残る夫ゟ土手下田町竹門
南北馬道猿若町壱丁め二丁め残らす焼失すかくや新道許
りハ残る又田中ゟ山谷浅草丁新鳥越はしハ今戸おひたゝ
しくつふれ往来山の如くにして通行成かたし」死亡の者
尤多し又大も(カ)んし前みのわ金杉板(ママ)本大につふる根きしハ
少々崩る夫ゟたんほ幸龍寺辺大にくつる六郷様おやしき
少々いたむ」又聖天町山の宿花川戸此へんおひたゝしく
崩る園(ママ)龍山浅草寺ハ本堂つゝかなし五重塔少々損す又並
木へり村(ママ、材カ)木丁広小路田原町仲町此辺少々損し森下加藤遠
江守様御下やしき大いにつふれる又駒かたゟ出火したり
すわ丁黒舟丁みよし丁河岸通り迄焼失之よし丁(ママ)角にて一
ばん□けし留る夫ゟ御蔵前通り少々そんし東御門跡ハ
つゝかなしから門崩る又下谷広徳寺前寺院町家大に崩る
中につゝかなき所もあり此辺○藤堂和泉守様○立花飛彈
守様その外大小各様かた御やしき残らす損す東ゑひ山御
山内つゝかなし同広小路北かハ六あミだ横丁ゟ伊東松坂
や黒門丁上の丁七けん丁新やしき長者丁和泉橋通り中御
かち町ねりべひ小路きわ迄焼失す又池之端少々そんじ同
くかや丁壱丁め二丁め榊原様中やしきるひ焼す又根津茶
や町へん大ニ損す無ゑん坂か松平豊之丞様中御やしき焼
る千駄木たんご坂此辺あまたくつれ谷中善光寺坂のうへ
少々残る也夫ゟ丸山白山駒込すかも坂(板)ばし辺少々損し本
郷通りわつかに潰れ加州様御やしきつゝかなしゆしま天
神損す同く表門通りくつれ三組丁辺悉く崩れるその外大
根畑新川置(カ)よこ手坂此辺かうじむろわれて大地大ひニさ
ける霊雲寺門前少々いたむ霊雲寺ハねりへい崩る妻□(恋)町
並稲荷社つゝかなし町内一けんも崩れす夫ゟ坂下○建部
内匠様○内藤豊後守様御やしき表長屋崩れ御成道○石川
主殿様御やしき○黒田豊前守様御やしき焼失す○小笠原
様そんす昌平橋通りハ神田同朋町御たい所町はたご丁金
沢丁明神下へん残らす崩れ□(筋)かい御見附少々いたミ内神
田外かん田とも残らす崩るふ(ママ)んば昌平橋辺格別の事なく
聖堂ハ表通りねりへいくつれ御茶の水辺ゟ小石川水戸様
御やしき所々損し同く伝通院門前ゟ安藤坂辺格別のいた
ミなく○安藤飛驒守様つゝかなし此辺すへて少々の損し
也扨又南の方御浅草御門内へん格別のいたみなく馬くろ
丁通りゟ小伝馬丁て(テツポウ)つはう丁石丁又横山丁ゟ塩丁油丁通
り大伝馬丁本丁四丁常盤橋御門外此辺格別の損し方なし
又西の方ハ昌平橋内○酒井修理大輔様稲葉様外廻り崩れ
小川町通り○本郷丹後守様○松平豊前守様榊原式部大輔
様板倉伊与守様戸田長門守様堀田備中守様此辺御やしき
方大に崩れ焼失す又神田橋御門内ハ酒井雅楽頭様森川出
羽守様るい焼又下口ハ辰の口○阿部伊勢守様○松平内蔵
頭様西長屋大に崩る大名小路久世大和守様表御門がハ大
崩る松平和泉守様松平能登守様鳥井丹波守様少々崩る
小笠原左衛門佐様おひたゝ敷崩松平阿波守様表門崩和田
倉御門内松平肥後守様上中御やしき焼ク松平下総守様内
藤紀伊守様焼る八代すがし松平相模守様遠藤但馬守様御
火消やしき類焼松平右京様損す永井遠江守様本多中務様
又日比谷外ハ松平肥前守様焼失松平大膳太夫様少々焼る
阿部播摩守様少々損す也薩州様御装束屋敷るひ焼丹羽長
門守様少々損す有馬備後守様焼失南部美濃守様松平時之
助様伊東修理様北條美濃守様等御るひ焼也亀井隠岐守様
うら長屋少々焼る夫ゟ虎の御門外京[極|ごく]佐渡守様稲葉伊与
守様木下飛驒守様此辺ゟあたこ下通り少々の損じ夫ゟ筋
違御門内すだ町ゟ今川橋通り十けん店室町ゟ日本橋きハ
此辺格別の事なし同うら通り西がしゟごふく丁辺東仲通
りハ四日市へん少々損す又人形丁通り小網丁此辺少々そ
んし松島丁ハ九分通り崩損すかきから丁林肥後守様太損
ず此へん御やしき方大ニそんす又浜丁井上河内守様少々
焼る水野出羽守様焼安藤長門守様少々損す霊がん島大川
はた北新堀少々焼る八丁堀辺少々損す又日本橋通り中ば
し辺少々損す京ばし南かち丁南大工町五郎兵衛丁奥丁北
之や町南伝馬丁二丁め三丁めすゞ木丁いなバ丁常盤丁ぐ
そく丁□(柳カ)丁竹かし本材木丁七丁めハ八丁め類焼たん正橋
にて焼畄る京ばしゟ南の方新橋辺ハ少々の損しにて柴井
丁南かハとも
残らす焼失す露月丁宇田川丁神明丁三しま丁大ニ崩る芝
増上寺御山内ハ別条なし中門前浜松丁四丁少々損す夫ゟ
金杉はし通り本芝浜辺とも損す御浜御殿少々いたミ築地
辺御門跡とも少々の損し尤御やしき方ハ大ニ損候もこれ
あり田丁九丁高なわ大木戸品川へん格別の損しなく又西
の方飯田町はん丁大崩る牛込ゟ小びなた辺まて崩れかろ
し丁四ツ谷へん少々損す鮫が橋大に崩る亦坂ハ伝馬丁田
丁一ツ木此へん少々損す桐畑松平美濃守様大ニ損す青山
六道辻辺ハ大に崩る麻布へん格別の事なし又西の久保神
谷丁辺大ニ崩る夫ゟ東の方ハ両国橋向本所ハ立川通り相
生丁緑丁壱丁目ゟ五丁め□花丁待(カ)右衛門丁此へん一めん
ゆり崩れ焼失南わり下水へん損し津輕越中守様御やしき
崩り同く林丁猿江へん大ニ損す又石原へん番は丁小梅通
り此辺大にそんし焼失す又深川御船蔵うしろ通り御旅所
此へん崩れ八名川丁六けん堀常盤丁此へん大ニゆり崩れ
焼失す同く森下辺ハ大に損す又下□(郷、カ)ハ永代橋相川渚丁北
川丁熊井丁黒江丁神丁永代寺門前悉くゆり潰れ焼失す八
幡宮本社別条なし表御門鳥居横丁三十三間堂少々のいた
ミ也その外御□内五里四方中仙道ハ大宮宿辺まて少々い
たミ上総迄大地しん行徳舟橋辺悉くゆり潰れ又葛西二合
半領日光道中岩付幸手辺所々類焼凡江戸四方近国人家の
損失老若男女の死亡ハ大方ならす一々これを記すに尽さ
す翌三日夕刻迄焼漸く大鎮り諸人安諸の思ひをなす且そ
の後廿日ニ地ゆる〳〵ことあれとも損亡に至らす此由を
諸国親るひ縁者のものへ知らしめんか為に天地修環時節
至来の事□検調して一覧に伝ふ事しかり
○町数五千三百七十余ケ町○神社仏閣三万八千六百余
ヶ所
○御家敷五千八百七十余ケ所○土蔵弐十三万五百九十
余ヶ所
一かゝる時節至来の難事有といへ共御仁政の有かた御(き、カ)ニ

御公儀様ゟ幸橋御門外深川海辺大工町浅草小路へ直ニ御
小屋被為建窮(ママ)民御救入有之其外種々御救之御手当有之誠
御思沢の難有事申も中々おろか也寝食の間も忘れす恐れ
おそれみて地に拝謝し奉るへきもの也
安政二卯臘月写之
(裏表紙の裏)「 地震之書附
安政三稔
辰四月十三日写之仕廻
御笠郡山家宿
郡屋
正五郎成政」
郡家正五郎写
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1491
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