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項目 内容
ID J3300346
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔巷街贅説〕「続日本随筆大成別巻 近世風俗見聞集集10」森銑三・北川博邦監修S58・4・30 吉川弘文館発行
本文
[未校訂](注、武者「日本地震史料」六二八頁以下にない部分をのせ
る)
慶長治国の後、地震年代記に出すもの、
慶長十八年冬、大地震
寛永十年、小田原大地しん
寛文二年、上方大地しん、五条の石橋落
天和三年、日光大地しん
元禄十六年、関東
文化元子年、出羽庄内
文政十一子十一月十二日、越後大地しん
文政十三寅七月二日、洛中
弘化三未(午)三月廿五日、信濃
嘉永七寅十一月四日、諸国
安政二卯十月二日、江戸十里四方
右十一ヶ度の内、元禄十六年関東大地震と計にて、何れ
の場所か知難し、按るに、江都の大地震は御治世の後是
を始てとするか、明暦の火災も江府中にして、焼死の者
十万八千人、しかも明年辰年二百年忌といふに、今年の
死忘(ママ)又是に三倍せりと、噫々、
二更[過起|チレ]此大震 千門万戸無不破
[総向|テチ]厚壁無不崩 関東災変珍事[稀|シ]
庭もせに夜毎仮寐の風さむくかるきなへにも
身ぞ震はるゝ
御治世支干相当の御賀ありし年なれば、
しろしめす年の干支にめぐりあいて
ゆり納めたる御代のいしずゑ 礎
地震之紀
安政乙卯首冬初 二日二更后大震
其夜翌日数度震 月中猶連日不止
夜々去家宿広原 東都災変驚諸人
元文十六関東震 雖然不言其場所
慶長治国後再度 坎艮震巽動勢強
離坤兌乾其勢弱 十里八方無不震
五里四方不崩稀 就中於巽震艮方
出火三十六箇所 士農工商類焼多
百千万戸悉破損 厚壁土無不崩落
潰家大概有瓦屋 潰死焼亡不知員
二十六万八千餘 明暦火災勝人死
辰巳里村死亡多 夜無往来絶人跡
悲泣叫声伝人耳 隠火燃々増寂寞
猿若俳優皆登洛 北廓娼妓空無稼
何処未知有仮宅 金龍山塔九輪傾
地裂吐泥隅田堤 所々割地一二寸
或四五寸八九寸 長短随地味有差
家作修補木竹石 次第高価常十倍
臨時諸色又一倍 職方雑卒得時富
辻売賎食得利賑 皆是働災念魚恩
神在出雲要石虚 五所造建御救小屋
有者施行幾千軒 可仰国恩災中恵
超月震動漸静也 於爰諸民唱万歳

はる〴〵と爰も仮宅雁がねの文にしらせる有家々々を
本鬮にあたる仲町富が岡春こそひらく山の華くじ
住なれし里をはなれて深川の水に流れをうつすうかれ

程近き隅田の川の川水に流れをかゆるよしはらの君
角田川おなじ流れの身をこゝにうつしすみぬる山の
宿々
さんや舟よるべ定めぬ君達の人を待乳にこがれぬる哉
北を出てしばしは爰に仮宅の雁の翅に送る玉章
戯文堂老狂詠
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1411
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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