[未校訂]此度地震大変に付潰れ家取り片付け
住居向は新規立てより外にいたし方
これ無くと存候、然れば地利を考地震
用心宜しきように仮住居といたししかるべきか
昨年當年と打ち続き大地震
此後も斗り難く用心なくてはかなはず
人命に拘ル筋は倹約にと相成らざる体ともこの節から
本立は行届きまじくやと
存候、もし本立にいたし僅かの
金子繰廻し出来候はば普請
の方は仮としてそれだけも武備の
方へ遣はしたく存侯、大地震に付武備
を止めなど申す御時節にあらず、このところ
勘弁ありたく候、普請出来ず候間は
武備お断と申す義も如何、銃陣
相止め大筒鋳方等を廃し候訳には
相成らずと存候、梵鐘の義もまたまた
仰せいだされ候て知るべし、併し和流調練
無益の筋は差略しかるべくと存候
以上
十月十三日
一〇代藩主溝口直諒侯の手紙である。
直諒侯は天保九年(一八三八)家督を直溥侯に譲り、隠
居して《健斎》と。この大地震には江戸で遭遇。「大侯
には 当分の間 鯉の御茶屋御住居在らせられ 御抱
屋敷広場へ 取敢えず 御仮家取りしつらえ……」奥
様御姫様方と暫くは仮の小屋住まいの暮し………『御
記録~誠廟紀~』は伝える。
「地震の後片付けに追われている。新築が必要な程の
被害だが、仮住居で対応するから、軍事力の強化を止
めることも出来ない時勢を考えて対応するように。」
と、この年の七月新発田に帰ってきている直溥侯へ、
あるいは国許の家老へ認めたものであろうか。
前年は、長雨続きで堤防決壊し莫大の被害。この年
の春には、海岸防備のため全国の寺院の梵鐘・金具類
は鋳換して大砲や銃を造れとの達。佐渡警備に当る新
発田藩は財政縮小に努める。大地震から一ケ月後、遅
れていた江戸屋敷建替工事に着手。赤沢九十九を御用
掛に、棟梁・大工三〇人を派遣。このための費用は領
内の検断・庄屋からの才覚金を当てた。
藩では倹約令を強化し、難局打開にあたったのであ
る。