[未校訂]嘉永七年甲寅 年
大地震の日
一旬月冬至十一月中 地しんニ大工弐人逃出ス(長屋ニてころぶ
十一月四日己巳六白
(是ハ無料也大工庄吉様同□□
晴天朝静也五ッ時大地震 (□中直吉様大工手伝
同朝
角与殿方七ッ祝ひへ桟留表遣ス
下女お政行角田や門を出て帰る時地しんと申候
「七五郎殿娘おはる大病ニ付今朝見舞ニ
行同人方ニ居る内ニ大地しんゆる
地響雷の如く初メ二ッ小にして三ッめゟ地割ル
其口五六寸又ハ壱尺又ふさがりて其向ふ開ク
今朝五ッ半時大地震大地割れ走る人
皆ころぶ家蔵倒れ或ハねじる土上へ登り下る
七五郎殿家ゟ飛び出して内へ入らんとする時家ゆがむ
家内子供皆逃出スを見て又表へ飛出し
石蔵前へ行時下蔵たおれ臥すつゞいて
船蔵奥蔵たおれ臥ス三ヶ所の土けぶり
ニて物のあいろわからず石蔵前の石橋
東の壱枚を踏時石橋落ち川へ入是を飛て
越時弐度たおれ候時石蔵かべはぢき出て
土煙り立飛起て後を見れバばあや
つづいて来ル石蔵前の垣を破りてばあや
を田の方へ置て再び子供を尋ねて
居宅へ帰る時ハ少し地震ゆり止候ニ付
居宅へ飛込火の元を見る処火もえさして
あり井戸ゟ水杓行て是へかけかき廻して又々
走り出て子供を尋る内酒蔵大釜戸より
煙出るニ付人を呼是をやねをほぐし水を懸
広敷居ろりの火をしめし候て又々
子供を尋るニ松太郎ハ今日酒屋ニて遊び
周助かかへて出ス蔵屋前の畑ニ居たり
お花ハ遊びニ出いづみやの前ニてころけ是も
蔵屋敷畑へ置おふきは先へ逃出し南裏田の中ニ居
たり子守お常ハ今日中宿へ遊びニ行て逃
帰り小児おとく共々南裏田の中ニ居たり
下女お政ハ角与殿へ使ニ行て是も逃帰る
家内の人数行衛相わかり皆無事也
「大地しんゆる間ハ石蔵の石橋を越る三足斗リの間大ニ
ふるふ也一刻半刻程にもあらぬひま也恐るべし〳〵