[未校訂]2 長尾組辺の地震など
長尾組辺の地震
次は、「公私年々雑事記」などに書き
留められていた長尾組辺の地震であ
る。実際はもっと数多くの地震があったはずであるが、
報告されたのは比較的大きな地震だけである。松本の被
害状況からすると、長尾組辺では、嘉永七年(一八五四)
の駿河相模沖地震が、弘化四年(一八四七)の善光寺地
震より大地震であった。
弘化四年(一八四七)三月二十四日亥ノ上刻(午後
九時過ぎ)善光寺大地震。
野沢村辺家潰れなし、石塔・供養塔等ゆり倒し。
苗間籾ゆり寄せ生い方悪し。二十四日夜より二〇
日ばかり昼夜七、八度から四、五度揺れる。翌年
四、五月ころまで折々揺れる。翌々年も少しずつ
折々揺れる。
四月九日~十九日に地震による不足苗高調べあ
り。