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項目 内容
ID J3300030
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔覚(大地震にて家捜し難渋ノ者共へ大肝煎所より御救として籾下されにつき)〕○新潟県大潟町笠原家文書1838-11新潟県立文書館蔵
本文
[未校訂]覚
一籾壱斗也 多助

右者去ル三月廿四日同廿九日両度之大地震ニ而家損シ難
渋之者共ヘ此度大肝煎所ゟ御救として書面之通り被下置
候分御渡被下難有頂戴仕候以上
弘化四未年六月
柳町新田多助印
庄屋所
前書之通り先達而者大地震ニ而当村之内家損シ難渋之もの
共ヘ被下置候御救籾早速書面之銘々江相渡候処難有頂戴
仕候以上
未六月
庄屋甚右衛門印
大肝煎所
(注、同様の覚三通省略、お救をうける人々の人名のみ左
に記す)
冨田新田(田村組)
一籾壱斗 長左衛門
一同壱斗 半右衛門
一同壱斗 新兵衛
一同壱斗 孫右衛門
〆潰家四軒
御救籾四斗
一半潰壱軒 富吉
此御救籾壱斗

一籾壱斗也与右衛門後家いと
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 658
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 大潟【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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