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項目 内容
ID J3300011
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔信州善光寺大地震記〕○群馬県中之條町山田山田正治家文書 H60-6-1 近世2/436群馬県立文書館写眞版による
本文
[未校訂](表紙)「信州善光寺大地震記」
好便御座候ニ付呈上仕候倍(カ)御平安奉□寿候然者当信濃国
前代未聞之大地震ニ而災難之始末荒増申上候丁未三月廿
四日夜四ッ時にも有之哉天地山川震動致し候有様ハ[恰|アタカ]も
[毗嵐断|ヒランタへ]而大地忽チ無間地獄ニ落チ[水輪|スイリンミ][湧|ミナギリ]て世界悉[有頂|ウチウ]天ニ
[翻|ヒルガヘル] かことく火焼出シ建つらねたる町家寺院江火移リ黒烟
地を[覆|クツカヘシ]シ火之光天を焼て焼失致し候得共如来本堂并山
門破壊仕候而已ニ而相残リ大勧進半潰レ右ニ付死人手負数
万人ニ而数不知たふ〳〵九死一生之危難を遁れ稚キを抱
老たるを連男女山野ニ逃迷ひ火之中水之底共不言伏倒れ
♠(ママ)♠ふ有様ハ阿鼻大城之罪人か獄卒之槍にかけられて鉄
湯之中ニ落入らんもかくやらむと聞に[哀|アハレ]を催して語ニ言
葉も目もあてられぬ次第也乍去かゝる変災之時に逢命を
猛火之中に捨骨を[煨烬|クアイジン]ニ成といへとももとより三国第一
之霊仏摂取不捨之御誓願ニ候得者死亡之諸人忽無為之宝
国に至正覚を花[鯱|シヤリ]ニ(カ)開むるといと頼もしき事共也如来
本堂ニ篭居候男女壱人も怪我あやまち無之誠ニ難有事也
同日同時飯山御藩中并町家民屋震潰シ大火と相成其夜松
代并近在川中嶋処々震潰シ稲荷山驛より焼出し其外所々
ゆりつふし四方八面誠ニ火之糸をはりし如く偏ニ三[災|サイ]之
却火世界を焼異ならす其上水内郡[粂路|クメジ]か橋下ニ虚空蔵山
と申岩山犀川江震落シさても名高き犀川水少も流レ不申俄
ニ長七里余之湖中ニ相成同日同州山中新町震潰シ一時の[煨|クアイ]
[烬|ジン]と相成候上水入ニ也夫ゟ川上三十七ヶ村震潰シ候上水
底ニ入リ[供波渺茫|コウハシヤバウ]ニて[漫|マン]々多々海ニことならす河水三月廿
四日より四月十三日迄長七里之間谷々ゑだ川々充満して
深サ数十丈と相成候処十三日昼七ッ時ニも可有候哉俄ニ
山川震動して地割山[傾|カタムキ]押切シ其[響|ヒビキ]ハ百万之[雷電押軸|ライデンオシジク]を
[摧|クダヒ]テ鳴出るか如く水烟夫を[掠|カスメ]押倒シ大木大石押流シ[驚|キョウ]
[浪雷|ラウライ]奔する有様ハ[干鯨|クジラ]之[首並|クビヲナラベ]而大海より[躍|ヲドリ]出万馬之足
を揃えて[山丘|サンガク]を下るに異ならす水烟リ天を遮るさなから
黒雲之如く雷声地を[轟|トドロ]かして泥水[烈敷|ハゲシキ]事三ツ羽之素箭を
射るが如く[激浪浩波|ゲキロウコウハ]三筋ニ切れ横四五里ニ[滔|オチイ]リ川中嶋を
始として松代須坂飯山在より越後国新潟迄数十里之間神
社仏閣民屋を押流し候事数不知凡此度之地震山抜流水
ニ而死亡致し候もの何万人といふ数不知猶また右之地震
之場所幅六七尺位より長三四間地割いたし地底より青キ
泥或ハ熱湯を吹出し候又々右地震ニ而善光寺皆潰ニ相成候
処ニ大門町ニ而柏や定次郎与申もの壱軒家内怪我あやまち
なく相残し誠ニ不思義之事也此者平生行状承ル処簾直之
もの也此度開帳大群集ニ付旅篭屋仲間相談いたし旅篭代
弐両ノ所三両ニ可致相談仕候得共右定次郎壱人不承知ニ而
是迄通り之宿致し候趣平素篤実右ニ准シ相知被申候誠ニ
至誠感□して神仏[擁護|ヨウゴ]之手を演させ給ふらむと感せぬも
のも無之由就中大安寺大(ママ)安寺和尚右地震ニ驚方丈之間よ
り庭ヘ飛出シ可申心得ニ而台所江飛下リ候所俄ニ震動致し転
び落行衛相知不申し右ニ付数十人ニ而鑿穿候得共死骸一向
相見ヘ不申候掛る奇談珍聞数多御座候得共紙面ニ難尽九
牛之一毛相記備貴読候 恐々謹言
善光寺福澤□水
上 皇都龍渓先生王安下
弘化四未十月写之書もの也
山田重教
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 639
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
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